ルフェビュールな1904年生まれ、タリアフェロは1893年生まれで、年齢は違うが、この2人は同じ1986年に亡くなっている。
私がフランスに留学していた1970年代後半にはまだかくしゃくとしていて、パリの老婦人たちは元気だ…というもっぱらの噂だった。
ただ元気なだけでなく、音楽に対する情熱がものすごい。ピアノ教育者として名をなした2人だが、教授職で儲けようという魂胆はさらさらなく、正しいと思う音楽の姿を若い世代に伝えたい、その一心で指導に当たっていたと思う。
マグダ・タリアフェロはブラジル生まれのピアニストで、パリ音楽院でコルトーに師事した。1908年にパリ・デビュー。エレガントな演奏スタイルで人気を博した。第2次世界大戦中にブラジルに帰国したが、背のやヨーロッパでの活動を再開。67年にはサン・パウロに自分の名を冠した財団を設立し、音楽家の育成にも力を注いだ。
1966年、73歳のときにドビュッシーの『金色の魚』と『花火』を弾いたすばらしい映像が残っている。まず目につくのは姿勢のよさだ。体幹でしっかり支えているので、肩から腕、肘、手首を自在に動かすことができる。投げる、跳ばすのテクニック、上下に切るスタッカートを駆使して、楽器から多彩な音色を引き出すさまは爽快だ。
びっくりするのは、『花火』に多出するグリッサンド。鍵盤をこそげて持っていってしまうのではないかという勢いで指をすべらせ、ガタガタいう音が画面からきこえてくる。タリアフェロの激昂の気合いをうかがわせて興味深いシーンだ。
イヴォンヌ・ルフェビュールもコルトーの門下生で、サンソン・フランソワの先生でもある。1930年からエコール・ノルマル、52年からパリ音楽院で教鞭をとった。
若いころドビュッシーにピアノを聴いてもらったことがあるルフェビュールは、65年、ドビュッシーの生地サン=ジェルマン・アン・レイで7月音楽祭を創設している。
音楽祭ではマスタークラスも開かれ、私も受講したことがある。講座は午後からなのだが、午前中にレッスン室からピアノの音がガンガン聞こえてくる。ルフェビュールが、受講生の演奏する曲を練習しているのだ。レッスン中にもすぐに生徒をどかしてしまい、ものすごいうなり声をあげながら演奏していたのを思い出す。
ルフェビュールは大変に小さな手の持ち主だが、指のバネが強靱で、それぞれのタッチが独特の透明感をそなえていた。フランス人なのにベートーヴェンが得意で、とくに『ソナタ第31番』には定評があった。
ルフェビュールが亡くなったあと、友人たちが彼女の映像を集めてDVDを創作した。その発表会で『ソナタ第31番』を弾くシーンを見ていたところ、弾きはじめからドレスの襟が不自然に折れ曲がっていることが気になったらしいルフェビュールは、演奏途中、両手が休みになるわずかな機会をとらえて襟をなおし、また何食わぬ顔で弾きはじめたので客席は大笑いだった。