【連載】「フレンチ・ピアニズムの系譜 第2回 ルイ・ディエメール」(NHK文化センター会員誌 2014年夏号)

ルイ・ディエメール(1843-1919) はフランス・ピアノ界の父と言われている。 長くパリ音楽院の教授をつとめ、前回紹介したアルフレッド・コルトー、ラザール・レヴィをはじめ、ロベール・カサドシュ、イーヴ・ナットなど、錚々たる門下生を輩出している。レヴィは私の恩師安川加壽子、ナットは日本ピアノ界発展の基礎を築いた井口基成の先生でもあるから、ディエメールの伝統は本国にも脈々とひきつがれているのである。

ピアニストとしてのディエメールもめざましい活躍を示した。彼に献呈されたフランク『交響的協奏曲』を初演したほか、サン=サーンス『ピアノ協奏曲第5番』、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第3番』、フォーレ『舟歌第12番』を献呈され、ベートーヴェンやモーツァルト、ショパンなどの楽譜の校訂をおこなった。さらに、フランス古典音楽の復興につとめ、1889年のパリ万博のおりには、楽器会社が制作した大型チェンバロのために18世紀の作品による連続演奏会を開き、5年後には古典音楽協会を設立している。ディエメールの演奏も少しはCD化されて、今日でも聴くことができる。ショパン『夜想曲27-2』は、とてもテンポが速い。同じ作品の通常の演奏より1分近く速いのでいかに大急ぎで弾いているかわかろうというものだ。フランス特有の、いわゆる「ジュー・ペルレ奏法」で、真珠の首飾りのように、音の粒ひとつひとつが光っている。だから、ショパン特有の細かい装飾音はレース細工のようでとてもきれいだ。

こんなすばらしいピアニストなのだから、先生としてもどんなにすばらしかったのかと思うと、意外にとてもよくない教師だったようだ。パリ音楽院でディエメールに師事した一人で、のちの作曲家アルフレッド・カゼルラは、「彼はいつも30分か40分遅れてきた。お世辞を言われるのが大好きで、大変に凡庸な指導者だった。新時代のフランスの最も輝かしい弾き手を育てたのに、不思議なことだ」と回想している。

安川加壽子によればレヴィも、「私の先生は何も教えてくれなかった。曲がうまく弾けなかったときはもっと勉強して来いとだけ言われて、どうしたらむずかしいところがうまく弾けるか、その勉強法さえも教えてもらえなかった」と語っていたそうである。ディエメールは技術的に優れていて、どんな難曲もミスタッチをしなかったというから、門下生の苦労がわからなかったのだろう。奏法も指先だけに頼る昔風の弾き方で、ロマン派や近代作品にはフィットしないため、コルトーもレヴィも独自のメトードを開発する必要を感じた。

面倒を見てもらえなかった生徒たちがそれぞれ自分の道を切り開き、結果としてフランス近代ピアノ奏法の礎が築かれたのだから、ディエメールはかえってよい先生だったというべきかもしれない。

2014年5月5日 の記事一覧>>

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