「週刊図書館 あの本」(週刊朝日 2008年7月4日号)

散り散りになった楽譜

中学は中くらいの進学校で、教師の子供が多かった。

図書室には世界文学全集がずらりと並ぶ。まだ読書量を誇るような雰囲気が残っていて、ぶ厚い本を読みかじってはドストエフスキー派だとかトルストイ派だとか、ヘッセ派とジッド派とか、勝手にセクトをつくっていた。

その子のあだ名は「ミチゾー」といった。女子なのになぜ「ミチゾー」かというと、要するに上の名前が立原さんというのだった。ついでに「ホリタツヲ」というあだ名の教師もいたが、こちらはいつもベレー帽をかぶっているからにすぎなかった。

ミチゾーは立原道三ではなく、ヘッセのファンだった。

『デミアン』の名を知ったのもミチゾー経由だったような気がする。でも、読んだことはなかった。私はジッド派で、ヘッセは苦手だったから。

一度だけミチゾーに促されてぱらぱらとめくってみたが、グレイトマザーみたいな女性が戦地を斜めに横切るようなイメージのシーンがとびこんできて、あわてて本を閉じた。

ミチゾーもグレートマザー風で、唇は厚く、目は細く、髪はちぢれ、胸は大きかった。

私たちは二人ともピアノを習っていて、音楽クラブにはいっていた。ミチゾーの先生はある高名な文芸評論家の娘という話だったが、彼女のピアノは聴いたことがなかった。

一度、ミチゾーとケンカしたことがある。音楽室で一学年下の女子がショパン『幻想即興曲』を弾いているのを聴いたミチゾーが、私に楽譜を渡しながら、あんたも弾いてごらん、と言ったのだ。私も『幻想即興曲』を練習していたが、右手がかけのぼる部分で指がもつれ、どうしてもうまく弾けなかった。

私はミチゾーがさしだしたピアノピースの楽譜をびりびりにひき裂いた。ドラマティックなイントロも、甘やかな中間部も、激しいクライマックスも、みんな散り散りになった。

今も『幻想即興曲』を弾くたび、楽譜の破片をていねいに拾い集めているミチゾーの姿を思い出す。

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