「”おかね”を語る 書くことと弾くことの内訳」(にちぎん 2011年 No.27 エッセイ)

ふしぎに、お金には不自由しないようなふうに人生が運ばれてきた。音楽の勉強にはお金がかかる。楽器を買う費用、毎週のレッスン代、音楽教室の学費、コンクールや入試などの受験料。公務員の父の給料では大変だったことだろうと思う。小学校から大学院まで国公立ですませた私はまだ親孝行だったが、私立の音大に行くよりは医者になるほうがよほど安いときいたこともある。あまり音大の学費が高いので、高校から留学してしまう人もいた。ヨーロッパの音大や音楽院は基本的に無料だからだ。私が芸大生のころはフランス政府の給費留学制度があったが病気で応募できず、大学院を出たところで私費で留学した。学業を一年で終えると、労働許可証を得て、コレペティトーア(ピアノ以外の楽器や声楽の伴奏)の仕事をするようになった。一週間に一度、ヴァイオリンのクラスに行ってレッスンの伴奏をし、試験やコンクールの伴奏もつとめる。週に一日しか働かないわりにはお給料がよく、休みのたびにイタリアやオーストリア、ドイツに遊びに行ってまだ貯金ができるほどだった。私費留学でお金をためて帰ってきた学生は珍しいのではないだろうか。

現在の私は、肩書きこそピアニスト・文筆家となっているが、実際に経済を支えているのは教育活動で、全体を一〇とすると演奏と執筆で二ずつ、六が音大やセミナーなどで得る収入である。その音大も、肩書きこそ「教授」となっているが、 実際には年に一〇回の契約で、入試や修了試験の採点も含めて一四回ぐらい行けばよい。教授会も出なくてよいので、長い会議にへきえき辟易している学者の友人たちからはサギだと言われている。本は一八冊、CDは九枚だから執筆と演奏の割合は二対一のはずだが、原稿料は演奏料に比べて格段に安い。演奏の場合、一回のステージでどんなに安くても一本(一〇万円)はくるが、売文業でそれだけゲットするのは至難の業だ。と、こんなふうに合わせ業でなんとか形はついているが、お金に不自由しないぶんハングリーさに欠けるうらみがある。どうしても有名オーケストラの定期に出演したいとか、一発当てて十万部の本を書いてやろうという気概もない。不況か何かで蓄えを失い、遮二無二仕事をとりに行くようになれば、演奏も文筆も劇的に変化するのではないか……などとあらぬ妄想にふけるこのごろである。

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