【緊急追悼企画】「吉田秀和氏の死を悼む」(音楽現代 2012年7月号)

「秀和さんの比較芸術論が好きだった。例えば一連のセザンヌ論…」
最後に会ったのはグレン・グールド論で相談した時

フランス人ヴァイオリニストと関西での演奏旅行を終え、まだ神戸にいたとき、吉田秀和さんの訃報がはいってきた。旅先で資料もないまま新聞に追悼文を書き、週刊誌のインタビューに応えた。かえってよかったかもしれない。白水社の吉田秀和全集だけでも24巻。筑摩文庫のセレクションが全4巻、完結したばかりの『永遠の故郷』も4巻。巨大な知の霊峰に恐れをなし、遭難してしまったかもしれない。

私は、秀和さんの音楽論や演奏論もさることながら、美術論を含めた比較芸術論が好きだった。たとえば、一連のセザンヌ論。秀和さんは、1983年の夏、エク=アン・プロヴァンスでセザンヌが描いた景色を訪ねてまわったのだ。たとえば、セザンヌがくり返し描いたヴィクトワール山。「セザンヌは、南から、西から、その他いろんな角度から、山の姿を描いているのだが、特に、トロネという、やや西より南から見た時の山は、山頂のほうは蒼味がかった白の大理石に、ところどころ赤い斑がまざり、荘重あるいは壮麗でさえあった。と同時に、この山は大空と合せてみるべきものだ」というくだりから、『物には決まったよさはなく…』におさめられた「セザンヌの空」というタイトルが出てきたのだろう。

別のエッセイで秀和さんは、セザンヌのリンゴの絵をベートーヴェンの楽譜に重ね合わせる。セザンヌの描くテーブルは不安定だしリンゴも今にも転げおちそうなのに、絵の中だから不思議な調和を保っている。 ベートーヴェンの楽譜も、バランスが狂っているのではないかと不安になったり、音を想像するだけでめまいを感じたりするが、それに耐えているうちに、不思議な国に連れていかれる。「一方で不安定で、みるものの精神を脅かすと同時に、異常な緊張と高揚、場合によっては陶酔を与えるもの」こそが「芸術における『美』ではないか」と考える秀和さんは、ベートーヴェンの楽譜を開きながら、くり返しセザンヌの絵の前に立つ。これまでこんなことをし、かつ書いた評論家がいただろうか。「南仏の一劃に隠者のように自分を画壇の動きから切り離して制作三昧に生きていた画家の影響が―少なくとも絵画の歴史の中の一時期―世界のどこといわず、やたら目につくようになったのである」という「セザンヌの空」のくだりは、「南仏」を「鎌倉」に置き換えれば、そのまま秀和さんのありようを語っているかのようだ。

私が最後にお会いしたのは、3年前、執筆中のグレン・グールド論のことで相談に上がったときだ。 「お茶の時間にいらしたら?」と言われたので行ったら、お宅には誰もいなくて、お茶も自分で淹れる、クッキーも「そこの缶にあるから」と、自分で出してお皿に並べる。だんだん暗くなるのに、秀和さんは電灯のスイッチを入れにいかないし、私にはスイッチの場所がわからないから、とうとう真っ暗になってしまったが、かまわず、グールドについて思うこと、やりたいこと、逡巡している理由などをぶちまけ、秀和さんは丁々発止と応じてくださった。暗闇の中で、巨大な頭脳と対峙している実感があった。

あなたはもう、じゅうぶんに書くことで成果を上げているでしょう? と言われた。あせることはないから、これしかないという資料を探して、これしかないということを書きなさい。そして、「これしかないという資料」を探す手筈まで示唆してくださった。

本が刊行されたとき、一葉の葉書が届いた。「また一つ、稀代の名著!」とある。「これまで誰も―多分―踏みこんだことのないところまで目の届いた分析、胸のすくような名文の幾つか」。あまりに褒められてすぎて照れ臭く、お返事しないままになった。

バルバラさんのもとで安らかにお眠りください。合掌。

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