寺田悦子リサイタル・プログラム 2025年11月21日

青柳いづみこ(ピァニスト/文筆家)

J.S.バッハ
管弦楽組曲第1番より序曲※マックス・レーガーの編曲による連弾版

 今宵のプログラムのテーマは《時空を超えて》。さまざまな作曲家のソロ曲と連弾曲を通して、「ここにない、どこか」への憧憬の念が音に託して綴られる。
 バッハを深く尊敬するマックス・レーガーが連弾用に編曲した『管弦楽組曲第1番』の「序曲」は、バッハがついぞ足を踏み入れることのなかったフランスへの憧れだろうか。伝統的なフランス風序曲のスタイルで書かれ、典雅な中にも、しっとりとした落ち着きがある。「グラーヴェ」は、リュリやラモーの形式に則り、特徴のある付点と装飾を伴うパッセージが心地よい対比をつくる。つづく「ヴィヴァーチェ」は2分の2拍子のフーガで、3つの同音連打を伴う主題の複雑な絡み合いが聴きどころ。最後は再び「グラーヴェ」に戻り、荘厳に締めくくられる。

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ローベルト・シューマン
子供の情景OP3.15〔渡邉規久雄ソロ〕

 作曲者が「年長者の回想であり年長者のためのもの」と語るように、子供の世界への憧れを繊細なタッチで描写した名作。永遠の子供である作曲家の魂のありようを音楽化したともいえよう。異国への憧れが幻想的に描かれる「見知らぬ国」、はねるようなリズムが子供のうきうきした様子を伝える「不思議なお話」。目まぐるしく駆け回る「鬼ごっこ」。永遠につづくような「おねだり」、左手と右手の対位法的な動きが充実した気持ちを伝える「満足」。行進曲風の堂々とした書法による「重大な出来事」。そして、永遠の夢と憧れを見事に音楽化した「トロイメライ」。やすらぎに満ちた一家団欒の様子を連想させる「炉端で」。シューマン特有のシンコペーション、3拍目のアクセントが躍動感を産み出す「木馬の騎士」。同じシンコペーションでねばり強い努力を描写した「むきになって」。夢想家のオイゼビウスと攻撃的なフロレスタンが交錯するかのような「こわがらせ」、ゆりかごのリズムが聴き手を夢見心地にさせる「子供は眠る」。そして、「詩人は語る」では、クララがシューマン自身と推定した”詩人”が美しいレシタティーヴォを奏でる。

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ローベルト・シューマン
東洋の絵「6つの即興曲」Op.66

 シューマン38歳の時に書かれた連弾組曲。11世紀のアラビアの詩人ハリリの散文詩「マカーメン」をリュッケルトが翻訳したものを読んで感銘を受けたシューマンは、6曲の即興曲を作曲した。といっても、旋法や和声に東洋風の素材が使われているわけではない。第1曲の前奏のあと、プリモが奏するモティーフは、いわゆる「トルコ風」(17世紀にオスマン帝国がヨーロッパに攻め込んだ際の軍楽隊の模倣)と思われる。第2曲は8分の6拍子で、シンコペーションと半音階的な8分音符の動きが複雑に絡み合い、イスラム文化の「アラベスク」を連想させる。「民謡風に」と指示された第3曲のテーマは、舞踊を思わせる軽やかな部分とコーダを挟んで三度再現されるが、そのつど後半部分の和声が変化する。第4曲はなだらかな主題による簡素な音楽。第5曲は角笛を思わせる勇壮な主部と歌謡的な中間部からなっている。ここまでは特定のストーリーにもとつくものではないが、第6曲だけは散文詩の主人公が「深い後悔と俄悔の中で人生の幕を閉じる」さまが反映されているとのこと。葬送行進曲を思わせる和音がとだえたあと、第4曲のテーマの再現が印象的だ。

死期が近いことを悟った長老が息子に遺訓を授ける
(ヤヒヤ・マフムード・アル=ワシティ)

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クロード・ドビュッシー
映像第2集より「金色の魚」〔寺田悦子ソロ〕

 イメージ源は、ドビュッシー家の壁に飾られていた蒔絵の「金の魚」と言われている。柳の下の急な流れの中で、2匹の魚が勢いよくはねている。サン=ジェルマン・アン・レイのドビュッシー記念館所蔵の蒔絵には、「南州」という落款がある。同記念館所蔵の煙草入れにも、鯉を思わせる魚がひれをゆらめかせている。ドビュッシー作品では、勢いよく渦を巻く流れがトレモロによって、3度の呼びかけモチーフがはねる魚をあらわしているのだろうか。魚の動きは予測不能で、とりわけ「Capricieux et souple(気まぐれに、しなやかに)」と記された部分の躍動感は魅力的だ。

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クロード・ドビュッシー
ベルガマスク組曲より「月の光」〔寺田悦子ソロ〕

 当初のタイトルは、出版社の1900年〜1901年の広告によれば「感傷的な対話」だったが、1905年に出版されたときは現行のものに変えられた。ともに象徴派の詩人ヴェルレーヌの詩集の一篇で、前者は『サチュルニアン詩集』、後者は『雅びなる宴』からとられている。『雅びなる宴』はフランスがもっとも栄えていたルイ王朝時代を懐かしむ風潮から生まれた詩集で、イタリア喜劇の役者たちが月明かりの道を次の興行地に向かっている。リュートを奏で、あでやかに踊るけれど、おどけた仮面の下はさして陽気ではないらしい...というような内容。

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クロード・ドビュッシー
前奏曲集第1集より「西風の見たもの」〔寺田悦子ソロ〕

タイトルのもとは、アンデルセン童話『パラダイス』。何でも所有している王子が、ひとつだけ持っていない「パラダイス」を求めて旅に出る途中、風穴に落ちてしまう。そこには東西南北の風の息子を仕切る母親がいて、帰ってきた息子たちから冒険談を聞くという設定。一番荒くれの西風は、海に嵐を起して水牛をひっくり返したと自慢げに話すので、母親に袋に入れられてしまう。
 ドビュッシーの「西風」も、荒れ狂う海の描写から始まる。激しいトレモロには「Strident(けたたましく)」、その上のとぎれとぎれのメロディには「Angoisse(苦悩に満ちて)」と記されている。

アンデルセン童話「パラダイス』の挿絵(エドマン・デュラック画)
 おばあさんからパラダイスの園の話を聞く王子
 東風に乗ってパラダイスに行く王子
 パラダイスの妖精たち
 王子の前で、金のガウンを脱ぎ捨て、木立の茂みに隠れる妖精

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クロード・ドビュッシー
交響詩「海」※作曲家自身の編曲による連弾版

 1905年作。インスピレーション源は、海の風と難破を扱ったカミーユ・モークレールの小説『サンギネール諸島付近の美しい海』で、1903年の構想段階では第1楽章のタイトルと一致していた。初版スコアの表紙には、ドビュッシーが書斎の壁に飾っていた葛飾北斎『神奈川沖浪裏』を図案化したものが使われていたが、そこにはオリジナルの3艘の小舟が欠落している。ドビュッシーは、一般的に印象主義の音楽家と言われるが、その方法論は、うつろいゆく自然を点描風にスケッチした画家たちとは一線を画している。ドビュッシー自身、海のない土地で作曲しながら、ある手紙で「自分には無数の思い出がある」と打ち明けている。ドビュッシーの「海」は彼がとりこんだ「海」、眺める「海」ではなく、体感する「海」である。構成的には循環形式が用いられ、モティーフの変形や使いまわしが多い。たとえば、第1楽章「海の夜明けから正午まで」の序奏の4つの音は、主部では音高やリズムを変えて印象的なテーマとなる。やはり序奏に出てくる3連音符の循環主題は第3楽章「風と海との対話」でもさまざまに変形される。第2楽章「波の戯れ」の連打リズムも、第3楽章の終結部では3連音符のモティーフと力を合わせてめくるめくクライマックスへと導く。

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坂本龍一
東風※作曲家自身の編曲による連弾版

 1978年、坂本龍一が細野晴臣、高橋幸宏と結成した「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)の楽曲で、グループ名を冠したアルバムに収録されている。曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画「東風」から取られている。また、当時メンバーの行きつけの中華料理店の店名でもあった。もとになったのは、1955年に撮影された中国の子供向け映画『祖国の花』の主題歌「双擢を振ろう」で、当時文化大革命に傾倒していた坂本にインスピレーションを与えたという。

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