【連載】 随想 「心に届く音(終)」(神戸新聞 2011年4月19日夕刊)

関西で開かれる新人オーディションの審査をつとめている。ピアノと声楽部門に分かれ,東京と大阪で予選を行う。
しかし,今年は東日本大震災の影響で東京が中止になってしまった。
多くの受験生が大阪での参加を希望したため,急遽大阪予選のあとで東京予選を実施することになった。 

出場者のレベルは高く,国内の音大で研鑽を積んでいる人,海外留学中の人,すでにステージ活動を始めた人と,錚々たる顔ぶれである。演奏する楽曲も高度な技術と音楽性を要求されるものばかりだ。たぶん専門家にしかわからない,ほんの少しの失敗や傷が厳しく評定されることもある。 

しかし私は,今回ばかりはそうした観点ではなく,一人一人がどれだけ人の心に届く演奏をしているか,を聴きたいと強く思った。

テレビで,ある被災地の避難所になっている小学校でおこなわれた卒業式の模様を見たことがある。
震災前,子どもたちが歌おうと決めていた歌があり,伴奏を一生懸命練習してきた生徒がいる。水に漬かって泥だらけになったピアノを丁寧に掃除してみたら,奇跡的に音が出た!
避難所を片づけ,被災者たちも参列した卒業式で,ピアノに向かった生徒がいつくしむように合唱の伴奏をするシーンには胸を打たれた。決して高度な技術をもっているわけではないが,巣立つ自分たちのメッセージを届けたいという少女のまっすぐな気持ちが音に乗って伝わってきた。 

音楽は不思議だ。どんなにたくさんの音を見事に弾いても人の心をすり抜けてしまう演奏もある。たったひとつの音でも,人を動かす力をもった演奏がある。 震災という辛い経験を機に,一番大切な音楽の原点にたち戻ろうよ,自分も努力するからと,私は審査員席から一人一人に呼びかけていた。

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