【連載】「このごろ通信 先駆者のたおやかな奏法 」(毎日新聞 2019年8月5日付夕刊)

 7月20日、東京・恵比寿の日仏会館で、ピアノの恩師安川加壽子先生の回顧展が開かれた。
 1922年生まれの先生は、生後14ヵ月でフランスに渡り、パリ音楽院でラザール・レヴィに師事。15歳で卒業し、演奏活動に入ったものの、国際情勢悪化のため帰国。74歳で亡くなるまで、演奏・教育の両面で日本ピアノ界の発展に寄与された。
 ギャラリーでは、先生の写真やコンサートのプログラム、新聞・雑誌の記事などの資料を展示。ホールでは、先生の貴重な演奏動画を上映し、私が注目ポイントなどをご説明した。
 先生がヂビユーした40年当時の日本のピアノ界は、まだまだ発展途上。演奏を頼まれて行ってみたら、畳の上にグランドピアノが脚を外して置かれ、前に座布団が敷かれていたという笑えない話もあったらしい。
 奏法も未開発で、汚い、濁った響きでも強く、速く「バリバリ」と弾けば良いとされた。
 そんな中、自然で無理のない先生の奏法は、時に迫力に欠けると批判されることもあった。しかるに、21世紀の今日、残された動画を見ると、40年以上前の演奏なのに実に新鮮なのだ。
 ピアニストはアスリートに通じるところがある。先生の理想的なフォームから美しい響きが生まれる。その響きがたおやかな音楽をかたちつくる。芸術性と技術が完全に合致している。
 満席の会場も、ショパンの「子守唄」「スケルツオ第4番」などの演奏に見入っていた。一人「の音大生が「魔法のようだ、どうしてあれほど自在に楽器をあやつれるのか」と感想を述べていたのが印象的だった。
 拙書『翼のはえた指評伝安川加壽子』で、75年にエリザベート王妃国際音楽コンクールの審査員を務めた先生のコメントを紹介したことがある。先生は、日本のピアニストに足りないのは独自の表現、固有の音色だと述べ、本当に人を感動させる演奏をするまであと半世紀かかるだろうと心情を吐露された。
 その期限まであと6年。先生の合理的な奏法に「感動」に通じる秘密が潜んでいそうだ。

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