中島敦「夾竹桃の家の女」
中島敦『夾竹桃の家の女』は、東南アジアのパラオを舞台にした官能的な掌編である。
風がすっかり呼吸を停めた午後、主人公はパラオ特有の滑らかな敷石路を歩いていく。一週間前に患った熱病が治りきらず、息が切れる。めまいを感じて休むと、四十度の熱に浮かされていたときの幻覚があらわれる。
「目を閉ぢた闇の中を眩い光を放つ灼熱の白金の渦巻きがぐるぐると廻り出す。いけない! と思って直ぐに目を開く」
夾竹桃がいっぱいに紅色の花をつけている家の前まで来たとき、疲れは耐え難いものになっていた。家の中には誰もいないようだ。勝手にあがりかまちに腰掛けて休む。
タバコを一本吸い終わったころ、一人の女が目にはいった。どこからはいってきたのだろう? 上半身裸で、生まれたばかりの赤ん坊に乳をふくませている。言葉が不自由なのと、勝手に留守宅にあがった断りをいいそびれ、黙って女の顔を見ていると、女も目をそらさず、じっと男を見据える。
パラオ女には珍しく整った顔だちで、顔の色も黒光りする肌ではなく、艶を消したような浅黒さである。やや反り気味の姿勢、半ば開いた受け口の唇、睫毛の長い大きな目。
女の浅黒い顔に血の色が上がってくる。初対面で、ひとことも言葉をかわさないのに、主人公には女の凝視の意味がはっきりわかった。産後間もない女がどうしてそんな気持ちになるのか、病み上がりの自分の身体がその視線に値するかどうか、熱帯ではこんなことが普通なのか、一切が不明だけれども。
ここから先数行の緊張感がすごい。空気がドロリと液体化して、皮膚にねばりつくような湿気、印度ジャスミンのくらくらする香り。熱帯の魔術にかかった男は、女がたぎらせる強烈な欲望に縛られていく自分を感じる。
危機から救ってくれたのは、病後の衰弱だった。女の方を見るために無理矢理ひねっていた身体が辛くなり、元に戻したとたん、ふっと呪縛が解けた。女にもそれがわかったのである。明らかに怒った顔つきをする女に背を向けて、男は夾竹桃の家を出て行った。
中島敦は、実際にこの女に会ったのだろうか? 一九四一年、南洋庁の教科書編集書記に任命された彼は、友人に『山月記』の原稿を託してパラオに渡ったが、持病の喘息を悪化させ、翌年三十四歳で亡くなっている。
フランスの近代作曲家セヴラックに『夾竹桃の下で』というピアノ曲がある。こちらは南欧の賑やかな祝祭音楽で、パラオのむうっとした湿気とは対照的な乾いたエロティシズムに満ちている。彼らがその下で踊っている夾竹桃の色も、ずっと鮮やかに違いない。