【連載】 随想「スーパーの棚」(神戸新聞 2011年3月29日夕刊)

東北・関東大震災の発生した日にパリからの飛行機に乗っていた私は、成田が閉鎖していたため中部空港に降り、関西方面の仕事をすませて帰京した。

家族の誕生日だったので、パリみやげのチーズやワインをもとにささやかな晩餐を準備した。フランスの食事にはバゲットが不可欠である。近くのパン屋に出かけたが、閉めている。別の店にも行ってみたが、食パンすら売っていない。あきらめて、チーズ用のクラッカーで代用した。

それからというもの、スーパーやコンビニの棚からはいろいろなものが消えていった。牛乳、卵、納豆。産地が被害を受けたためだときいて胸が痛む。おにぎり、サンドイッチ、水もなくなった。こちらは、被災地に送られているのだろうか、それとも、停電のために備蓄する人が増えたのだろうか。

電気が使えないと市民生活は立ち往生する。家庭用品店からは、懐中電灯や電池、携帯ラジオ、充電器が消えた。ガスボンベは一人2本までという張り紙も出た。 

夕方買い物に出ると、スーパーは節電のため薄暗く、棚はがらんとしている。思い出したのは、昭和30年代のスーパー・マーケットである。電気はもっと明るかったが、棚はこのぐらいがらんとしていた。 
レトルトのカレーは、松山容子という女優さんの顔がついたもの一種類しかなかった。ラーメンも袋入りしかなかったところに「カップヌードル」が売り出され、人々がむらがっていたのもかすかに覚えている。 

カップラーメンもレトルト食品も、お湯を沸かせば食べられるため非常時には人気らしく、3、4軒まわってみたがことごとく売り切れ。やっとあるスーパーで一種類だけ発見したときは嬉しくて、買い占めようとして思いとどまった。何だか日本がすごろくの振り出しに戻ってしまったような気がした。

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