【書評】川本三郎 著「郊外の文学史」(新潮 2003年3月号)

ひと口に「郊外」と言っても、時代によって刻々と変わる。「『郊外』は東京の市中から西へ、西へと移動する。かつては郊外だったところがいつのまにか市中になっている」と川本氏は書く。

夏目漱石にとっての「郊外」は、たかだか新宿の隣駅の大久保界隈で、そこに移り住むことは「都落ち」だった。島崎藤村が、現在の歌舞伎町に当たる西大久保で『破壊』を完成させたことを知った漱石は、「執筆のため裏店にはいって書いた」と思ったという。田園調布ですら、永井荷風が大正十三年に散歩したときは「松林猶鬱蒼として野草蕭々」だった。慧眼な荷風は、いずれ渋谷や千駄ヶ谷のように賑やかになるだろう、と予言しているが──。

その渋谷が、実は国木田独歩の郊外文学『武蔵野』の舞台というのも、驚く。明治の中ごろの渋谷は雑木林に囲まれた田園だった。雑木林は、ガスが普及して薪の必要がなくなってから次々に伐採され、畑に変わっていく。世田谷で田園生活を送っていた徳富蘆花は、この変化を「東京が大分攻め寄せてきた」と表現した。

私は川本氏とほぼ同世代(氏の方が六歳上)で、ともに子供時代を中央線沿線の阿佐ヶ谷で過ごした。だから、共感覚が多い。川本氏は北口の杉並第一小学校出身だが、私は南口の第七に通った。真ん前には花籠部屋があり、道路を眺めていると、初代若乃花がツィードの背広姿で自転車を漕いでいたりした。当時相撲部屋といえば両国だったが、文字通り「郊外」にかまえた花籠部屋は、若乃花の活躍によって一躍新興勢力となった。

そのころ、青梅街道の向こうは一面に田んぼをつぶした原っぱがひろがり、犬の散歩に好都合だった。川本氏はこう書く。「原っぱは都市でもないし、自然でもない。いずれは都市のなかに埋没していくはかない場所である」。やがてブルドーザーがはいり、原っぱは新興住宅地となった。

若乃花の二十二歳下の弟貴ノ花、現二子山親方は、この地区の東田中学出身である。水泳の中学記録をつくったものの、「水泳ではメシが食えない」という名セリフを残して相撲取りになった。まだ十代のころに二歳年上の女優藤田憲子と出会い、阿佐ヶ谷のアパートで同棲生活を送っていたが、子供ができたので結婚。引退してからは、その昔花街だった中野新橋に部屋をかまえ、息子たちは横綱にまでのぼりつめた。

川本氏が田山花袋の言葉を借りて、「『明るい若い細君のいる家庭』があり、『今に豪くならなければならないという希望』に向かっている新しい町、つまり『郊外』である」と書いているくだりを読んだ私は、反射的に、ほんの身近でくりひろげられていた花田家三代の物語に思いをはせた。二子山部屋に起きたスキャンダルの数々は、大きな希望をいだいて常に前進する時代が終わったことを象徴するかのようだったから。

同じ文章で川本氏は、次のようにつづける。「その後、『郊外』にも近代の毒がまわってくることになるのだが、当初の『郊外』、より正確に言えば文学作品に『描かれた郊外』は、廃滅のデカダンスとは無縁の『明るい若い』場所である」

川本氏は別のところで、「近代の毒がまわった郊外」を「冷えた郊外」、「当初の郊外」を「暖かい郊外」と呼んでいる。もともと阿佐ヶ谷界隈は、関東大震災のあと、人々が移り住むことによって自然に発展していった町である。しかし、同じ阿佐ヶ谷界隈でも、青梅街道の向こう側は、企業が住宅の誘致を目的に開発した、いわば人工的な郊外だった。この二種類の「郊外」現象が、花田家をも襲ったのである。

文学にあらわれた「冷えた郊外」の例として、川本氏は村上龍『テニスボーイの憂鬱』をあげる。主人公のテニスボーイが生まれ育ったのは、横浜市北部の田園都市線沿線。高度成長前、「横浜のチベット」と言われたぐらい交通の不便な場所だったが、「ブルドーザーとパワーシャベルがあっという間に沼をつぶした」。

戦後生まれのテニスボーイが開発前の風景にノスタルジーを感じていたかというと、必ずしもそうではない。子供のころは、「赤土と沼と竹ヤブだけの自分の家の周り」がいやでたまらなかった。テニスボーイは開発のおかげで五軒のレストランのオーナーとなり、テニスに興じ、家庭を持ちながら適当に若い女とも遊んで生活を愉しむ。しかし彼は、この街が好きかときかれると、何故か「あまり好きじゃないんだよ」と答えてしまう。

「ひとをひとたらしめているのは記憶である。記憶の連続性である。過去の自分と現在の自分が確かな記憶によって結びついているときに、ひとは安定する。急速度の発展は、この記憶の連続性を壊わしていく。(中略)

村上龍が、発展の現実を明るく肯定しながらも、なおこの小説を『憂鬱』と名づけたのは、この郊外生活者の記憶の不安定性を意識しているからだ」

このあとで、ほぼ七十年前に書かれた佐藤春夫の『田園の憂鬱』が出てくる。思わず膝を打ちたくなる。タイトルが似ているからではない。舞台となっている場所がほぼ同じだからだ。そして、同じ場所なのに意味合いがまるきり違うからだ。「敗滅のデカダンスとは無縁の『明るい若い』場所」のように見えて、実は頽廃している村上龍の郊外とは反対に、こちらは、「近代の神経衰弱」を背景にしていながら、「生命の讃歌」に包まれている。佐藤が田園暮らしをはじめたのは、都会生活の息苦しさから逃れるためだった。「田園」は田舎ではないから、昔ながらの村落共同体のわずらわしさがない。

「田舎が現実の場所とすれば、『田園』はあるべき場所である。都会の喧騒に疲れた人間が慰籍される理想郷である」川本氏が語りたかったのは、この理想郷としての郊外だった。

『郊外の文学史』というタイトルを見たとき、たとえば田端文士村とか阿佐ヶ谷文士村とか、文士たちがつどい、切磋琢磨したり、あるいは虚々実々の出世合戦をくりひろげたりする話かと思ったら、全然違った。まず、風景がある。それから、ごく自然に、その風景に小説や映画のシーンがかさねあわされる。明治時代からこんにちまで、文豪の作品もベストセラーも、現在ではごくマニアの人にしか知られていないような小説でも、そこから登場人物がするりと抜け出し、郊外の風景の中を歩き、会話をかわす。

たとえば、明治四十二年に書かれた森田草平の『煤煙』。森田の分身である作家は、平塚雷鳥をモデルにした若い女性とデートをする。本郷に住む男と駒込に住む女。水道橋のホームで待ち合わせをした二人は、目的地の大久保を通りすぎて、当時の電車の終点である中野で降りる。早春の田園風景の中を歩きながら、主人公は「初恋」の気分を味わう。作家には妻子がいたから、もし二人が市中に出かけていたら、もっとどろどろした展開になっていただろう、と著者は書く。
「市中には、まだ古いモラルやしがらみがある。二人の関係はそこでは『密会』になってしまう。しかし、郊外に行けば『初恋』になる」理想郷としての「郊外」が彼らを浄化したのだ。

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