【インタビュー】「藝高Acanthus 先輩からの一言」(饗和会会報 2012年春第9号)

赤れんがインタビュー(no.4)

●芸高時代のことについて聞かせていただけますか。

芸高がまだお茶の水にあったころです。お昼ご飯の時間が楽しみで、お弁当を持ってきているのに外に食べに行ったり、ダメと言われても喫茶店に行ったりもしていましたね。とても自由でした。でも、3年生になってからガラッと変わって、とても厳しくなり、反抗して学校に行かなかったり(笑)。それでも、ピアノの練習は熱心にやっていましたね。楽譜を見ると自分の中に音楽が飛び込んできて、こう弾きたいという想いが強くありました。でもいろんなことが間に合わなくて。理想どおり弾けないことで、ずっと自分に苛立っていたように思います。

●芸高に行って良かったと思われることは何ですか。

良い友達ができたことです。当時のピアノ科の友達とは結束が固くて、今もクラス会をしたり、頻繁に連絡を取り合っています。運命共同体のような感じですね。私のコンサートに来てくれたり、本を読んでくれたりもしています。

●音楽だけでなく執筆家としてご活躍され、数多くの賞も受賞されていますが。

中学生の頃は周りに本を読むのが好きな子が多く、同人誌を作ったり、童話を書いたりしていました。芸高に入ると、音楽のことしか話題に上らなくてカルチャーショックでした。後になって、潜在的に本の好きな人は多かったとわかったんですが、当時は本を読む時間があったら練習! みたいな雰囲気がありましたね。入学当初は、芸大ではなく一般の大学に進学しようかと悩んだものです。先生に相談したら、「書くのは音楽をやってからでも遅くはないのでは」と言われて。そして芸大から大学院に進み、修士論文を書いたら、何かをつきつめて考えて文章にするという作業がすごく楽しかった。留学して帰国後、書く方もやりたいなと思っていたところ、芸大に博士課程ができたことを知り、再入学し博士号を取りました。自分が入れた生徒と一緒の入学式だったんですよ。演奏活動を始めた頃は、ピアニストが物を書くなんてと批判されたりもしました。当時は、ステージで話したりプログラムを自分で書く例もなくて。今では普通になりましたけどね。

●先生にとって演奏するということはどういうことですか。

私は大学院修了後、フランスのマルセイユに留学しましたが、そこで毎週のようにサロンや小さな教会に呼ばれて演奏していました。私はミスのない完壁な演奏というのは得意じゃないんですけど(笑)。たった1つの音でも気持ちが伝われば人は泣いたりもするんだということを知りました。フランス語で「始まる」という言い方がありますが、それは演奏が聴き手にとって意味を持ち始めるということなんですね。人が演奏を聴いて幸せな気持ちになるとか、日頃の憂さを少しでも晴らして別の世界で遊んでもらう。それが音楽が始まったということで、その瞬間のために音楽するんだと思います。

●芸高生、または音楽家を目指す若い人たちへ先生からアドバイスなどありましたら教えてください。
 芸高のようなエリート校では、国内外のコンクールでプライスを取ってきたり、 またセミプロのような活動をしている生徒もいると思います。 ただ、その取り組み方で、 例えば国際コンクールで優勝して活躍する、あるいは国内外の主要オーケストラに入ることだけが目的で、 そうでなければ成功じゃないと考えていると視野が狭められてしまいます。 また、音楽への興味が自分の楽器だけしかないというのも残念です。 いろんな活動の方法があるし、学生時代の成績というのは社会に出て全くカウントされないことが多いです。 どんな場所にもよい音楽はあるし、またよい音楽ができると信じています。 芸大の先生になることも、小さい子に教えることも、 音楽をやる上で全く貴賎はないということを若い人に知っていてほしいです。 また、芸高にいて自分のポジションを見定めて、早くから諦めてしまう子がいるかもしれません。 でもあきらめないでほしい。私も、自分が自分であることが良いことであるという状況を常に求めて、 でも長い間実現できませんでした。みんなそれぞれ自分の才能を持って生まれてきているわけですが、 その才能を充分に生かす責任がある。「あなたが与えられた才能を実現するのはあなたの義務です」と言いたいです。 常に自分の良いところ、どんな形でもいいから自分が社会に役立てることは何かということを考え続けてほしい。 そして考え続けた人が最後は成功するんだということを知っていてほしいです。

2012年4月11日 の記事一覧>>

より

新メルド日記
執筆・記事TOP

全記事一覧

執筆・記事のタイトル一覧

カテゴリー

執筆・記事 新着5件

アーカイブ

Top