常識では計れないカリスマというのがいる。
今年生誕二百年を迎えたリヒャルト・ワーグナー(1813~83)はその一人だ。クラシック音楽界に突如として発生した巨大なハリケーンのような存在で、あっという聞に伝統的な作曲語法をなぎ倒し、周囲の作曲家たちも巻き込んで音楽史をすっかり変えてしまった。
ハリケーンがもっとも吹き荒れたのはフランス、パリだった。1861年にオペラ座で上演された『タンホイザー』は大変なスキャンダルを巻き起こし、公演は三回で打ち切られてしまった。ボードレールがこれに憤慨して抗議文を発表したため、彼に心酔する象徴派の文人たちはこぞってワーグナーかぶれになってしまった話はよく知られている。
おもしろいことに、ボードレールはほとんどクラシックの聴体験がなく、「ウェーバーとベートーヴェンの美しい曲」をいくつか聴いただけ。当然、音楽用語も知らず、ワーグナーが多用した「半音階進行」のかわりに「微妙な暫時的移行」などと書いている。ボードレールに倣ってワーグナー論を書いたマラルメにしても、それまでワーグナーの舞台を一度も観たことがなかったという。
ここで活躍したのが作曲もするヴィリエ・ド・リラダンで、彼はボードレールやマラルメのためにせっせとワーグナーの楽劇をピアノで弾いて聞かせた。
パリのワーグナー・ブームは詩人たちによって推進されたのだが、本職の作曲家は大変な被害を被った。一度聴くと耳について離れないワーグナー音楽は、専門家の耳をも支配する。端的に言うと、何を書いても知らず知らずワーグナーに似てしまうのである。ベルギー人のセザール・フランク(1822~90)の『交響曲ニ短調』には、ワーグナーの手法や響きが反映されている。その弟子たち、ヴァンサン・ダンディ(1851~1931)の歌劇『フェルヴァール』は、『トリスタンとイゾルデ』の影響を受けすぎていると批判された。弟弟子のエルネスト・ショーソン(1855~99)の歌劇『アーサー王』も、ドレスデン歌劇場に上演をもちかけたが、『トリスタン』に似すぎているという理由で拒否されてしまう。たしかに似てはいるが、圧倒的なカリスマ性がなく、よい意味のおしつけがましさもないから印象も薄い。
私が研究するクロード・ドビュッシー(1862~1918)も、ずいぶんワーグナーの被害を受けた一人だ。というより、お釈迦さまの掌で飛び回っていた孫悟空のように、結局ワーグナーから抜け出られなかったような気もしている。
1887年のあるアンケートで、「好きな作曲家は?」ときかれてバッハ、パレストリーナとともにワーグナーの名をあげたドビュッシーは、その二年後までは熱烈なワーグナー主義者だった。パリ音楽院の学生時代から『トリスタンとイゾルデ』のスコアを持ち、全三幕を暗譜で弾き語りすることができた。1887年から89年の間に書かれた歌曲集『ボードレールの五つの詩』には、ワーグナーの音が色濃くこだましている。
しかし、89年夏に、パイロイトの祝祭歌劇場で『パルジファル』や『トリスタン』の上演に接したドビュッシーは、掌を返したようにアンチ・ワーグナーを表明しはじめる。たとえば、ワーグナーの代名詞ともいうべき「ライトモティーフ」。ドビュッシーは、登場人物が舞台に出てくるたびに判で押したように奏される「音楽の名刺」を痛烈に批判した。
とはいえ、脱ワーグナーをめざして書かれたオペラ『ペレアスとメリザンド』にもまた、控えめながら登場人物を象徴するライトモティーフ的なものは存在するのだ。何によらず、同じものをくり返すことを嫌うドビュッシーは、モティーフが出てくるたびに少しずつリズムやハーモニーを変え、場面ごとの心理の変化を表現しようとしてはいるのだが。
音楽的にも、ワーグナーを彷彿とさせる場面はある。1907年に『サロメ』初演のためにパリを訪れたリヒャルト・シュトラウスは、ロマン・ロランのお供で『ぺレアス』の舞台に接し、ある場面で「なんだ、『パルジファル』そっくりじゃないか!」とつぶやいたという。たぶん、第一幕の第二場に至る間奏曲の部分だろう。パルジファルがアムフォルタスの城に入城する場面転換の音楽によく似ている。
1908年作の「ゴリウォーグのケークウォーク」では痛烈に『トリスタン』をおちょくってみせたドビュッシーだが、晩年にはワーグナーに回帰していったように思われる。管弦楽のための『映像』の「ジーグ」には、『パルジファル』のクンドリーのモティーフ、激しく旋回しながら落下するパッセージが引用されている。クンドリーのモティーフは、晩年にとりくんでいた未完のオペラ『アッシャー家の崩壊』にも出てくる。『アッシャー家』のマデリーヌのライトモティーフは、やはり『パルジファル」で花乙女たちが騎士を誘惑する妖しげな歌の変形である。このモティーフは、『聖セパスチャンの殉教』やバレエ音楽『遊戯』にも引用されている。
ワーグナーの影響から抜け出そうともがき、そのことによって優れた作品を生み出したドビュッシー。それにしても、フランス近代一の大作曲家にこんな苦労をさせるのだから、ワーグナー・ハリケーンの威力はやはり強大だ。