「ドビュッシーと秘密結社-『ダ・ヴィンチコード』の真偽や如何に」(レコード芸術 2006年7月号)

「私の中にあるすべてのものは説明不可能です」とドビュッシーは手紙に書いている。「私は自分自身を制御することができません」

いったいこういう人物に秘密結社の総長がつとまるものだろうか。とはいえ、秘密厳守にかけてはドビュッシーの右に出る者はない。彼の父親が、パリ・コミューンで戦って投獄されたことなど、死後50年たってやっと判明したぐらいなのだから。

『ダ・ヴィンチ・コード』のヒット以来、ドビュッシーの名が「シオン修道院派」の総長リストに載っていることが広く知られるようになった。拙著『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』(東京書籍)でこの問題を扱ってからちょうど10年になる。

パリ国立図書館に、『ダ・ヴィンチ・コード』にも出てくる「秘密文書」が所蔵されているのは本当のことだ。総長に有名人の名を使うことは珍しくないとはいえ、たしかにそれらしい名前ばかりだ。ダ・ヴィンチやボッティチェリ、ニュートン、17世紀のヘルメス学者ロバート・フラッドは、神秘思想や錬金術とのかかわりが絶えずとりざたされてきた人物だし、シャルル・ノディエも天啓を受け、神秘主義にのめりこんでいた時期がある。ドビュッシーの前任者とされるユゴーも、亡命先のジャージー島で「こっくりさん」に熱中し、幻視的デッサンを数多く書いた。「後任者」コクトーがロンドンの教会の依頼で制作したキリスト磔刑図には膝から下がなく、足元に大きな赤いバラが描かれている。

ドビュッシーの楽譜で唯一こうした影を感じさせるのは、子供向けバレエ音楽《おもちゃ箱》(1913)だ。台本作者のエレがただの「花」としたものを「バラの花」に変え、少女や兵隊やポルシネルと並んで表紙カバーの中央に据えたのはドビュッシーだった。「このバラは、すべての登場人物の中でもっとも重要なキャラクターなのです」と、ドビュッシーはエレに書く。重要? 他のキャラクターのデッサンにはちゃんとモティーフの楽譜が添えられているが、バラの花は「フェルマータ」と「休符」である。

1885年5月23日、ユゴーの死にともなって「シオン修道院」総長に就任したとされる時期、ドビュッシーはローマ大賞を得て留学したところだったが、なぜか4月27日から「ほんの数日」のためにパリに戻っている。ローマ賞受賞者はメディチ荘に滞在し、館長の許可がなければ帰国できないはずなのに、許可を得た形跡もない。その後ドビュッシーは6月4日まで消息を断ち、無沙汰の理由を「ひどい風邪」としている。

帰国後のドビュッシーは、象徴派のたまり場『独立芸術書房』(89年開店)に入り浸っていたが、エソテリストの詩人ヴィクトール=エミール・ミシュレは、当時のドビュッシーが「ヘルメス学に深く魅了され、その方面の書物もよく読んでいた」と証言する。

1908年にオペラ・コミックで《ペレアスとメリザンド》を歌ったマジー・テイトによれば、そのころから09年にかけてのドビュッシーはエジプト学やオカルティズムと少なからずコンタクトがあり、彼女も妻のエンマもそのことをいやがっていたという。

ここで思いあたるのは、08年に着手したポーにもとづく未完のオペラ《アッシャー家の崩壊》である。09年8月~10月6月にかけてとりくんでいた作曲帳では、鏡状進行する半音階のモティーフの上に「斜めの蠍座と逆さの射手座が夜の空にあらわれる」という不思議な呪文が書き込まれている。この部分は、台本を書いたドビュッシーが特別に設定したアッシャー家の侍医の登場場面にあたり、侍医のせりふは次のようなものだ。

「あなたは誰ですか? 何を望んでいるのですか? 何びともこの部屋に入ってはならぬことを知らないのですか?」

こうした詰問するような調子は、秘密結社の入団式で交わされる問答の定番なのである。

そんなわけで、前置きばかり長くなってしまったが、ドビュッシーの楽譜に引用されている《アッシャー家》の各モティーフは、何らかの暗号を秘めている可能性がある。

実際にオペラの作曲にとりかかるのは1908年だが、前奏曲「狂気の愛の主題」は1894年作《弦楽四重奏曲》の循環テーマによく似ている。アンドレ・シュアレスがロマン・ロランに書いた手紙によれば、90年ごろのドビュッシーはポーに入れ込み、『アッシャー家の崩壊』にもとづく交響曲を作曲していたというから、その名残かもしれない。

「マデラインのモティーフ」の変形は、《6つの古代碑銘》の第4曲、、バレエ音楽《遊戯》、《ヴァイオリン・ソナタ》などで使われているし、《前奏曲集第2巻》の「水の精」には「マデライン」とともに減5度の「ロデリックのモティーフ」も重ねづかいされている。さらに、マデラインが墓を破って出てくる場面の「崩壊のモティーフ」は、《牧神の午後への前奏曲》や《前奏曲集第2巻》の〈カノープ〉にもあらわれる。

マデラインが歌う「幽霊宮殿」のアリアにみられる高音域から急速に落下して蛇のように巻きつくモティーフに至っては、《雅びなる宴第2集》の〈半獣神〉、《管弦楽のための映像》の〈ジーグ〉、バレエ音楽《遊戯》、《6つの古代碑銘》の第2曲、フルート独奏曲《シランクス》と枚挙にいとまがない。

そして、前述の侍医の登場場面、まがまがしい呪文の下にスケッチされた半音階の鏡状進行は、《ペレアスとメリザンド》の「地下の場」でも使われている。

《ペレアス》の「地下の場」の「よどみ水」や「「壁や柱の亀裂」そのものが、『アッシャー家』の黒い沼から発したものだった。「地下の場」とそれにつづく「地上の場」を作曲したドビュッシーは、親しかった画家のルロールにこんな手紙を書いている。

「それは、どんなに鍛え上げられた魂にすらめまいを起こさせるほどの、ぞっとするような恐怖と神秘に満ち満ちています。そして、そこから地上に出る場面では、われわれのよき母である海でうぶ湯をつかった太陽の光に満ちています。この対比はよい印象を与えると思います」(1894年8月28日)

「地下の場」と「地上の場」の対比には、5ヶ月前、オクターヴ・モースの主催するブリュッセル「自由美学展」で初めて個展を開いてもらったときの体験が活かされているにちがいない。ドビュッシーは、兄事していたショーソンに喜びを爆発させる。

「今までの私は闇の中を歩いていたようなもので、悲しいかな! ずい分と悪い通行人にも出くわしたものです。しかし今、私の前に光り輝く道が出現したような気持ちです」

「悪い通行人」とはいったい誰なのか? ドビュッシーが「シオン修道院」の総長だったかどうかを追跡するすべはないが、少なくともこんな「暗号」を知ってしまったあとでは、とてもドビュッシー音楽を優美な印象派にとじこめる気は起きなくなるだろう。

2007年6月15日 の記事一覧>>

より

新メルド日記
執筆・記事TOP

全記事一覧

執筆・記事のタイトル一覧

カテゴリー

執筆・記事 新着5件

アーカイブ

Top