【連載】「音楽という言葉—やさしい、やさしい『月の光』」(神戸新聞 2012年3月31日)

月に一回、都内某所でフランス音楽のセミナーを開いている。受講生の顔ぶれはさまざまだ。若手からベテランのピアニストまで。ピアノの先生、作曲家、企業に勤めながら趣味でピアノをつづけている人。

最近の新入生Nさんは元ピアニストと言うべきだろうか。地元でコンサート活動をしていたが、あるときくも膜下出血で倒れ、一時は右半身不随を告げられた。ということは、ピアノも弾けない! チューブで体全体を固定され、天井だけを見上げるICUの日々。iPodで聴く音楽に支えられたという。ていうか、他に何もすることがなかったんですけど…。

そういう状態のとき、受け付ける音楽と受け付けない音楽があった。ベートーヴェンはだめ、演奏家時代は好んでリスト弾いていたんだけど、これもダメ。一番なじむのがモーツァルトだった。自分の体が音楽で満たされてキラキラして、とにかく気持ちよかった。みるみるうちに回復し、お医者さんもびっくりした。以降、ICUの患者さんには努めて音楽を聞かせているという。

あなたが以前にピアノを弾いていたから特別に反応したのではないですか? とセミナー生の誰かがきいた。わかりません、でも、前はこんなふうに音楽を感じることはなかった、と彼女は答える。

音楽は自分の外にあるものでした。

リハビリに励み、指も何とか動くようになった。退院して真っ先に弾いたのが、ドビュッシー「月の光」だった。その「月の光」をセミナーでも弾いてくれた。

いろんな「月の光」がある。甘美に歌いあげるもの、夢のような響きをかもしだすもの。外側が見事に整えられた演奏もすばらしい。でも、その「月の光」は、最初の一音からこちらの心にすっとはいりこんできて、 私たちの中で言葉をもった。コミュニケーションできる感じ。やさしい、やさしい「月の光」だった。

まだ思うように指は動かないけど、またリストを弾いてみたいんです、とNさんは言っていた。今ならきっと、こう、なんていうか、いろいろなものにしばられないで、つまりミスなしに弾こうとか、大きな音を出そうとか思わずに、自分の気持ちがそのまま音になるような気がするんです。

そうだよね、言葉はもともと気持ちを伝えるもの。
音楽は言葉がないぶん、本当はずっと直に伝えられるはずなのに、楽器や技術やステージへの恐怖が邪魔をする。一生、音楽が外のままの人もたくさんいる。そんななか、Nさんはきっとものすごく早く、演奏家にとって理想の道をたどったんだなー。

「月の光」を聴きながら、そんなことを考えていた。

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