【連載】「よむサラダ ピアニストのお昼ごはん」(読売新聞 2001年7月)

庶民的食堂で500円の満足
   午後の仕事はすべりよく

クラシックのピアノ弾きなどという種族は、世間ではどのように受けとられているのだろう、と考えることがある。まさか、毎日フランス料理を食べているとも、家にいるときもステージ衣装のようなロングドレスを着ているとも思われてはいまいが、その実態、日常生活は神秘のヴェールに包まれているのではなかろうか。

朝は六時半に起きて娘の弁当をつくり、一緒に朝食をとる。リサイタルやレコーディングで忙しいときは、前の晩につくったものを冷蔵庫に入れておく。娘が学校に出かけたあと、その日の体調によって、もう一回寝たり、パソコンやピアノに向かったりする。

お昼ごはんは、外食ですませることが多い。それも 500 円以内と決めている。私が住んでいるのは、学生や一人暮らしのサラリーマンが多い地域で、最寄りの駅の周辺には、庶民的な食堂もたくさんある。ちょうど 500 円で、おいしいゆでたてスパゲティの数々を食べさせてくれる店。ランチにはスープもついてくる、今はやりの石焼きビビンバの店。

ガード下の洋食屋さんの盛り合わせランチは 510 円だが、半ライスにしてもらうと490 円になる。ある牛丼チェーンでは、野菜サラダつきのカレーが 490 円、牛丼にとろろと生卵のついたセットが 440 円で食べられる。カレーと牛丼を合わせたセットは 520円で、私は今日こそ少しぜいたくしてこのメニューを食べようと思いつつ、最後の瞬間にいつもちゅうちょしてしまう。店員たちが「シロ・すくなめ」という符丁で呼ぶ半ライスも、ここでは割引にならないため、裏ワザを使うこともできない。

500円昼ごはんを食べ終えた私は、その日の空腹度と食後の満足感、味と栄養と値段の比率について、しばし黙考する。それは、あるピアノ曲のタッチと響きの関係、メロディーと伴奏のバランスについてピアノの前で呻吟する作業と、少しもかわりはない。

不思議なもので、その日のお昼が過不足なくいただけると、午後の仕事のすべりがよくなる。筆でつっかかっていたところも、ふっと道が開ける。ピアノでも、午前中にはどうしても弾けなかった曲が、意外にすんなり通ってしまったりする。

モーツァルト、ショパン、ドビュッシー。彼らはどんなお昼ごはんを食べていたのだろう?

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