まちの記憶 阿佐ケ谷 東京杉並区(朝日新聞2021年8月30日)

ご近所文士集い 大酒飲んだ
今も残る「会場」息づく昭和の文化

七夕まつりで知られるアーケード商店街や、線路際の飲み屋街。東京都杉並区のJR中央線阿佐ケ谷駅かいわいには、昭和が薫る。南にちょっと入った住宅街もそうだ。古い釣り堀があり、豊かな木々をまとった古い民家も多い。

とりわけ詩人で仏文学者だった青柳瑞穂(1899〜1971)の家は、これぞ昭和の日本家屋の風情。ここは戦後しばらく近隣の作家らが親睦を深める「阿佐ケ谷会」の会場だった。

孫でピアニスト・文筆家のいつみこさん(71)が幼い頃の思い出を語る。「会の日は、行きつけの飲み屋のおかみさんたちも手伝いにきていて、庭で遊んでいると台所の窓からかいがいしく立ち働く姿が見えました」

頭領格は、隣町の荻窪に住んでいた井伏鱒二。上村暁(かんばやしあかつき)、木山捷平(しょうへい)、外村(とのむら)繁ら近くに住む作家たちが、和気あいあいと将棋を指し、酒を酌み交わした。戦前は太宰治も参加し、みんなで奥多摩に出かけた写真も残る。

「身辺雑記のような私小説の書き手が中心でした。商業主義を排し、売れないのを誇りにするような人たちでしたね」

いづみこさんは、近著『阿佐ケ谷アタリデ大ザケノンダ』で、そんな彼らの姿を描いた。

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阿佐ケ谷周辺に作家たちが集まったのは、1923(大正12)年の関東大震災がきっかけだ。当時はまだ東京の郊外。前年に駅が開業したばかりで家賃も安く、新進作家らが移り住めるこれからの地だった。昭和に入り、彼らが駅前の中華料理店で開いていた将棋会が阿佐ケ谷会の前身だ。では、戦後、青柳宅が会場になうたのはなぜか。

食糧難だった戦後しばらくは酒の流通も少なく、47年の「飲食営業緊急描置令」によりコロナ禍の今のように自由に店で飲めない時代だった。そんな中、阿佐ケ谷会は「純然たる飲み会」(上林)として再開。骨董(こっとう)が趣味で酒器食器が豊富な青柳宅が会場に選ぼれた。

当時の様子を浅見淵(ふかし)がこう書き残している。《終戦直後は酒飢餓(ききん)のせいで毎月のように催され、毎回ほとんど全会員出席という盛況だった。交替制の幹事のだれもが、苦心して酒を集めて来たからだ》

戦後は火野葦平(あしへい)、伊藤整らが加わり会員も増えた。やがてそれぞれに多忙になると、開催もまばらに。70年代初めに青柳の他界とともに幕を下ろした。

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会の他にも作家、文学者は多く、「阿佐ケ谷文士村」として街の文化遺産的位置づけだ。区立郷土博物館は年2回、「杉並文学館」という展示会を開き、新資料などを紹介している。

志を受け継いだ動きもある。2002年、文士を慕う文筆家らで「新阿佐ケ谷会」が発足。メンバーはいづみこさん、評論家の川本三郎さん、ライターの岡崎武志さんら。駅周辺や故青柳宅で飲む。かつての「阿佐ケ谷会」のように、奥多摩にも出かけた。「反骨精神があり、大勢にくみしないのが昔と一緒かしら。でも、新阿佐ケ谷会は売れっ子が多くて、予定がなかなか合わない」といづみこさん。コロナ禍で活動は休止中だ。

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駅の北口に回ってみる。正面ロータリー付近は戦前、阿佐ケ谷会が開かれた中華料理店があった。その先の松山通りにも古いたたずまいが残る。

古書店「ネオ書房」は、昭和文化の匂いを凝縮したような店だ。店主は地元育ちの評論家・切通理作(きりどおし)さん(57)。もとは切通さんも通った貸本屋だったが、19年に引き継いだ。マンガや映像に関する書籍がぎっしり。棚の上には、特撮怪獣の人形が並ぶ。店頭にはベンチや時代ものの10円ゲームを置き、駄菓子屋のようだ。実際に駄菓子やジュースも売つている。

「子どもたちも来てぐれる店にしたいんですね。懐かしさという言葉に陥らない文化の継承がこの店のテーマなんです」

飲み屋街の路地奥にあるミニシアター「ラピュタ阿佐ケ谷」も、過去と今とを結ぶ。98年にアニメ専門館としてオープン。旧作を上映する都内の名画座が閉館する中、昭和の作品を中心になかなか見られないマニアックな邦画の特集で、映画ファンに人気だ。

支配人の石井紫(ゆかり)さん(42)が構想している特集がある。「阿佐ケ谷文士村です。地元とも何かできるかもしれませんね」。偶然だが、最近も井伏や田宮虎彦
原作の作品の上映があった。

来年は駅開業100年、再来年は井伏の生誕125年没後30年の節目。街や歴史を見つめる機会になるだろう。(西正之)

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写真コメント

評論家の切通埋作さんが店主の「ネオ書房」。店内の品ぞろえは昭和レトロ感たっぷり

文士が集った故青柳瑞穂宅には、当時の面影が残る。孫のいづみこさんが歴史を書き残している

昭和の邦画がかかることが多いラピュタ阿佐ケ谷。現在は長門裕之の出演作品を特集中だ=いずれも東京都杉並区

㊨南柳宅での阿佐ケ谷会。井伏鱒二(右から2人目)、火野葦平(同4人目)らの顔が見える。このころ会員は30人近くいたらしい=1954年5月

㊤将棋を指す井伏鱒二(左端)と上林暁。後方で青柳が外村繁に酒を注いでいる=1953年3月、いずれも青柳いづみこさん提供

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