A5 ドビュッシー:《子供の領分》より「グラドス・アド・パルナッスム博士」
《子供の領分》は1908年7月に完成され、愛娘シュシュに捧げられています。第1曲「グラドス・アド・パルナッスム博士」は、ピアノを習い始めた子供がいやいや練習している様子を描写したと言われることが多いですが、この時点でシュシュは2歳半。クレメンティの練習曲集《グラドス・アド・パルナスム(パルナソス山への階段)》を弾けるとは思えません。タイトルのパルナソス山とは古代ギリシャ時代の聖地で、転じて「ピアノ技術の高みに登る」という意味を持っています。
ドビュッシーは《12の練習曲》の第1曲に「チェルニー氏に倣って」という副題をつけましたが、当初の構想では、タイトルが「グラドス・アド・パルナッスムのために」となっていました。彼にとってこの手の練習曲の総称だったことがわかります。
しかし、たとえば冒頭部分を単なる指の練習ととらえるのは間違いです。ドビュッシーは最初にピアノを手ほどきした先生(一説にはショパンの弟子)の影響でバッハを深く愛していました。バスが伸びている上に展開される一連の分散和音は、バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番の前奏曲を思わせます(冒頭など、経過音のDを入れればそのまま「グラドス」の音型になります)。
また、あるパッセージから特定の音が伸びて別の旋律を形作るあたりもバッハの書法に似ています。ドビュッシーはバッハの音楽について、「数条の線が平行して動き、偶然に出会ったり、しめし合わせて出会ったりするとき、感動を呼び起こす」(『音楽のために』)と書いています。
「グラドス」にもそうした手法が活かされています。たとえば、3〜4では8分音符に点のついた線が、5〜6では4分音符になります。点で響かせるものと線で響かせるものの弾きわけが必要です。
13はクラヴサンの2段鍵盤のイメージで、左手を右手より高くとります。
24では8分音符にテヌートがついているので、手首を落として少し深めのタッチで弾きます。その線が26では音を結ぶ4分音符になり、「espressivo」と記された27〜30では訴えかけるようなメロディに発展します。その間、16分音符は音の粒を際立たせるのではなく、全体を溶かして美しいハーモニーをつくり、バスはそれを支えます。
中間部ではバッハによくみられるように、16分音符のモティーフの拡大形が使われていますね。67、69では、左手の内声が右手の分散和音のひとつの音と結びついて新たな旋律をつくっています。
単純な曲と思われがちですが、実は「線を弾きわける」技術を必要とすることがおわかりでしょう。
「グラドス」を適切に演奏するには、練習曲ではなくバッハを弾きこなす指が必要です。
〔出典楽譜〕ドビュッシー:EditionsDURAND(2006)