【連載】「青柳いづみこの指先でおしゃべり 第7回 ドビュッシーと東洋の美術」(ぶらあぼ 2015年4月号)

芦屋に山村サロンという小さなスペースがある。ステージが能舞台で、背景には老松が描かれ、客席も能楽堂のようにコの字形になっている。

ドビュッシーのレクチャーコンサートを頼まれたので、せっかくだから東洋文化とのかかわりについて語りながら関連曲を演奏しようと思った。衣装も、羽織のような上着でちょっと東洋風に。

ドビュッシーは1889年、パリ万博でジャワのガムラン音楽に接して以来、東洋の音楽に魅せられ、自作にとりこんだ。ピアノ組曲『版画』の第1曲「パゴダ」がガムランの「スレンドロ音階」をもとに書かれているのはよく知られている。

晩年にも、『沈黙の宮殿』という東洋風のバレエを構想している。結局未完に終わったが、「奇妙な鐘や水平のハープ」と「低い音のドラム」からなるガムランのオーケストラをバックにパントマイムを踊るシーンだけはスケッチが残っていて、「パゴダ」と同じようにスレンドロ音階や4度の連続が使われている。

ドビュッシーは、東洋の美術にも大いに関心を寄せていた。交響詩『海』の表紙は、葛飾北斎『神奈川沖浪裏』のアレンジで飾られた。大波に翻弄されている小舟を除いた図柄である。自宅の書斎でストラヴィンスキーと写した写真の背景にも、原画の複製が見える。

ドビュッシーに北斎を教えたのは、ロダンの弟子の彫刻家カミーユ・クローデルだった。ただし、有名な『富獄百景』ではなく、『北斎漫画』のほう。自在な線と奇想天外な構図で人物のさまざまな形態を描き、ドガやロートレックに影響を与えた画帳である。

カミーユは師のロダンに翻弄されて精神に異常をきたしてしまった。ドビュッシーが彼女とどんな間柄だったのか謎だが、カミーユ作の『ワルツ』という彫刻を仕事部屋に飾って死ぬまで大切にしていた。

仕事机の上にも、こまごました東洋の美術品が載せられていた。眠そうな顔をしている木製のカエルは、代表作のオペラ『ペレアスとメリザンド』の登場人物にちなんで「アルケル」と呼ばれていた。ほてい様がねそべっているようなインク壺もあった。

「南州」の落款がある蒔絵の箱には、柳の下で泳ぐ2匹の緋鯉が活き活きと描かれている。『映像第2集』の「金色の魚」はこの緋鯉をイメージ源に作曲された。この作品を「金魚」と呼ぶ人がいるが、あくまでも「鯉」なのである。

同じ『映像第2集』の「しかも月は廃寺に落ちる」は、アンコール・ワットを舞台にしている。スケッチの一部には、装飾音のついたペンタトニックのメロディの上に「ブッダ」と書きつけられていた。ドビュッシー家のサロンにも「ブッダ」がいた。サティと暖炉の前で向かいあっている写真には、金色の仏像がはっきり写っている。

レクチャー・コンサートでは、この作品や「パゴダ」をはじめ、やはりガムランの影響を受けている『12の練習曲』の「対比音のための」などを演奏した。

能舞台の上には、とてもよく調整されたピアノが置かれている。低いところから高いところまでそれぞれの音を響かせると、それが空間にのぼっていって美しい像をむすんだ。

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