【特集】「ショパンのピアニズムを探求する–ショパンの精神に近づく意義深い催し」(音楽の友 2018年12月号)

取材・文=青柳いづみこ

ショパンの故国ポーランドのワルシャワで行われた「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」。ショパン時代の楽器で弾くことが義務づけられ、出場者は5台の楽器から選定して演奏。入賞者4名のうち3名をポーランド勢が占める中で、日本の川口成彦が第2位という健闘を見せた。そのもようをレポートする。

精神的には18世紀人のショパン

 古楽器ブームである。フォルテピアノを修復したり、レプリカを制作する場合もあり、バロック時代の音楽のみならずロマン派や近代の作品まで演奏される機会も多くなった。この場合、作曲家が何を望んでいたかも問題になる。ベートーヴェンは楽器の発達に敏感で、もし現在のような楽器があったら喜んで作曲したろうと思う。しかし、ショパンは違った。彼はリストが夢中になったダブルアクションなどメカニズムの進歩に背を向け、好んでシングルアクションのピアノを弾いた。楽器の発達とともに音量も増し、ヴィルトゥオーゾたちは派手な技巧で大ホールの聴衆を魅了することに腐心したが、ショパンは繊細な表現を駆使して、18世紀からつづくサロンの親密な空間で演奏するほうを選んだ。
 ショパンはロマン派のただ中に生きたが、精神的には18世紀人だった。J・S・バッハを創作のよりどころにし、「装飾法」、「スティル・ブリゼ」など、バロックを思わせる書法が少なくない。ショパン時代の楽器で弾くことを義務づけた「第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」は、彼の精神に近づく意味で大変意義のある催しだったということができよう。

5台のフォルテピアノから選定して演奏

 使用楽器はショパン・インスティテュート(国立ショパン研究所)や楽器商エドウィン・ベウンクが提供した19台から審査員が5台を選定。プレイエル(1842)、エラール(1837)、ブロードウツド(1843)、ブッフホルツ(Ca1825、2017年修復)、グラーフ(Ca1819、2007年修復)。このうちグラーフはショパンの若い時代、ブッフホルツは1830年代後半に使用した可能性があるモデルだという。
 出場者はこの中から、第2次予選までの演奏楽器を選定する。楽曲や奏者のピアニズムとの相性も採点の対象になるというから、重要な作業だ。モダン楽器のコンクールは15分、ピリオド楽器では40分与えられるが、それでも時間が足りなくて大変だったようだ。
 筆者も5台の楽器を試弾する機会を与えられたが、よくぞ「練習曲」が弾ける、と出場者たちを尊敬してしまった。そのぐらいコントロールがむずかしい。しかも、それぞれ性格が異なる。エラールは、一般的に現代のピアノに近いと言われるが、選定された楽器は私には弾きにくかった。鍵盤に抵抗感があり、すぐには発音しない感じだ。エラールでの「バラード」や《舟歌》の演奏に妙に力んでいる印象があったのはそのためかもしれない。逆に、ショパンが疲れているときは弾かないと言ったプレイエルは、コツをつかむと音がひとりでに連なる感じが心地よかった。プレイエルで弾いた「バラード第4番」に好演が多かったのもうなずける。ブロードウッドは中音域の音色が魅力的な楽器だが、鍵盤が跳ね返るまで待っていなければならず、リピート音の多い作品では苦戦が予想された。
 ブッフホルツとグラーフにはラウド、ソフトの他に2本のモデレート・ペダル(フェルトによるミュート効果)があり、操作を知らないと、とまどうだろう。実際に演奏に支障をきたした例があった。ところで、ブッフホルツの4本ペダルを駆使して多彩な音色の変化をつけたポーランドのクションジェク(2015年ショパン・コンクールのセミファイナリスト)は、楽器修復後、披露演奏会で何度も演奏し、CDにも収録しているとのこと。このあたり、少し不公平感を抱いた。

フォルテピアノとモダン楽器での奏法の違い

 第一次予選の課題曲は、J・S・バッハ《平均律クラヴィーア曲集》、ショパンの初期の「ポロネーズ」、クルピンスキ、シマノフスカなどポーランド作曲家の「ポロネーズ」(ショパンの師エルスナーの作品を初めて聴いた1)、ショパンの「練習曲」1曲と、「バラード第1〜4番」、《舟歌》から1曲。
 楽器は3台まで演奏できるが、1台しか弾かない人もいるし、2台を弾き分ける人も、3台の間を行ったり来たりする人もいる。会場で他の演奏を聴いたあと、選定楽器を変えることは許されるらしい。それでも明らかに選び間違いと思われる事例はあいついだ。
 ブッフホルツで見事な「練習曲」Op10−10を聴かせてくれたルーマニアのコンテスタントが、ブロードウッドで「バラード第2番」を弾いた途端、コントロールを欠いて粗い演奏になったり、エラールを見事にコントロールして弾きすすんだアメリカの出場者が、なぜか《黒鍵のエチュード》だけプレイエルで弾き、切れが悪くなってしまったり。
 コンテスタントの経歴をみると、モダン楽器専門の弾き手もいれば、古楽器を中心に勉強してきた人もいる。演奏スタイルも経歴に応じてさまざまだった。ショパン時代の演奏習慣に合わせて、楽曲の前に手すさびのようなパッセージ(プレリューディングというらしい)を加えたり、楽曲と楽曲の間を即興的楽句でつないだり、楽譜にない装飾を付け加える演奏もあれば、ルバートも装飾音もモダン楽器のスタイルで通す人もいる。
 審査員はフォルテピアノの専門家が4名、どちらも演奏する審査員が1名、残りの5名はモダンの専門家だ。プレリューディングや装飾法については、モダン楽器専門の審査員と古楽器専門の審査員の間で見解の相違があり、意見の刷りあわせが行われたという。フォルテピアノとモダン楽器で一番違うのは重さの使い方だろう。近代ピアノ奏法では鍵盤の跳ね返りを利用して重さをかける弾き方が中心だが、フォルテピアノではそれができない。余分な力をかけるとボコボコするので、手指のコントロールが不可欠になる。

6名のファイナリストのうちポーランド勢が半数

 第2次予選では、通常のショパン・コンクールと同じく「ポロネーズ」、「バラード」、「スケルツォ」、「ソナタ」などダイナミックな作品が中心になる。J・S・バッハやショパンの初期作品ではコントロールに成功していた弾き手も、モダンで弾きなれた楽曲では重さをかけすぎ、楽器が悲鳴をあげることも少なくなかった。
 これは不可抗力の事態だが、フランスのアントワーヌ・ド・グロレが第2次予選で《アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ》を演奏中、鍵盤の象牙部分を剥がしてしまった。ド・グロレは、超特急のパッセージを弾きながら、空いている左手で剥がれた象牙をつまんで譜面台に置き、何事もなかったように演奏を続けて拍手喝采を受けた。
 古楽器では珍しいことではないらしいが、休憩後には日本の川口成彦が同じエラールを使う予定でハラハラした。調律師は、象牙を元に戻し、専用の接着剤に瞬間接着剤を混ぜて塗り、テープで固定。20分後に登場した川口は、くだんのエラールで2曲のポロネーズを演奏したが、特に支障は感じられなかった。ついでブロードウッドの悩ましい音で「マズルカ」Ca24。最後にプレイエルで「ソナタ第2番」を熱演、会場は湧きに湧いた。
 川口もド・グロレも本選に進出。ロシアのドミトリー・アヴローギン、ポーランドのトマシュ・リッテル、クシシュトフ・クションジェク、アレクサンドラ・シュウィグートを加えた6名がファイナリストになり、ポーランド勢が半数を占めた。残念だったのはカミール・パホレックで、軽やかな奏法、躍動感あふれる演奏で大いに楽しませてくれたが、「ソナタ第3番」の終楽章でメモリーミスが起きた。
 日本は、参加を許された4名のうち2名が第2次予選に進出し、本選は1名のみ。中村優以は、ショパンにふさわしいエレガントなスタイルと制御のきいた奏法でよくプレイエルを乗りこなしていたが、惜しくも届かなかった。

本選の協奏曲 共演は18世紀オーケストラ

 協奏曲による本選は、9月12〜13日の2日間。予選はフィルハーモニーの室内楽ホールで行われたが、こちらはモダン楽器のコンクールでも使われる大ホール。共演は古楽器を使う18世紀オーケストラだが、それにしても音が聴こえるかどうかが注目の的になった(オーケストラはかなりセーヴしていたようで、トゥッティになると解放されたように音量が増すのがおもしろかった)。
 サロンでの演奏を好んだショパン作品取材を受ける川口成彦によるコンクールを大ホールで行うことについてはいつも議論の対象になるが、ピリオド楽器ではなおさらだ。モダン楽器の場合とは反対に「協奏曲第2番」が大半を占めたのも、楽器との兼ね合いだろう。フォルテピアノ奏者として活動している川口成彦も「第2番」を選び、作曲年代に合わせてブッフホルツでの演奏を希望したが、リハーサルでオーケストラがいくら音量を絞ってもソロの音が充分に聴こえず、プレイエルに変更したという。
 若い時代の作品だから即興的走句など挿入しやすいはずだが、スタイル的には予選に比して新鮮味がないという印象を受けた。創意工夫に富んだ演奏で聴衆を楽しませてきたアヴローギンは、人が変わったようにおとなしくなり、プレイエルの鈴のような音色は、しばしばオーケストラの影に隠れた。ド・グロレはエラールを選択し、持ち前の推進力豊かな演奏で押し切ったが、オーケストラとのバランスにやや違和感が残った。ただ一人「協奏曲第1番」を、これまたただ一人、1849年製のエラールで弾いたクションジョクは、バランスは問題なかったが、予選に比して緊張感の目立つ演奏でやや期待はずれ。
 そうした意味で、プレイエルを乗りこなし、スコアを熟知し、18世紀オーケストラを制御した川口の演奏は一番まとまりがあり、見事第2位に輝いた。
 優勝したトマシュ・リッテルは、2度の予選、本選ともに傷があったが、古楽のスタイルにも精通し、ピリオド楽器を活かすしなやかな奏法と、聴く者の胸に迫るピュアな音楽性で客席を魅了した。本選の最後に演奏したアレクサンドラ・シフィグットは、フォルテピアノの演奏としてはやや弱い印象を受けたが、やわらかい音色、豊かなテンペラメントで、主にモダン側の審査員の支持を得て、川口とエクゼコの第2位。第3位はクシシュトフ・クションジェクで、合わせてマズルカ賞も獲得した。
 ショパン音大では、モダンピアノとともにチェンバロかフォルテピアノの履修を義務づけているという。それは素晴らしいことで、ピリオド楽器によるコンクールを開催する原動力にもなっているのだろう。入賞者4名のうち3名をポーランド勢が占める中で、堂々の第2位に食い込んだ川口成彦の健闘を讃えたい。

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本選はモダン楽器のコンクールでも使われるフィルハーモニーの大ホールで行われた。協奏曲のオーケストラは18世紀オーケストラ

入賞者の4名。左からトマシュ・リッテル(第1位)、アレクサンドラ・シフィグット(第2位)、川口成彦(第2位)、クシシュトフ・クションジェク(第3位)

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