フランス音楽を専門とするピアニストにして、師・安川加壽子や祖父・青柳瑞穂の評伝で知られる著者が、『水の音楽』を主題にした音楽の系譜を探るユニークな文化論を挑んだ。
セイレーンやメドゥーサなどに代表される神話上の水の精には人間に害を及ぼす禍々しいイメージがつきまとうが、実は民間伝承に現れる彼女たちの中には、中世フランスの人魚メリュジーヌのように結婚して人間と同化しようとする「善い水の精」もいる。
著者はまずこれら実に豊かな水の精のバリエーションを、古代、中世、さらには近代の文学者たちによる創作にまで分け入って細かく分類・紹介する。だがもちろん本書の真骨頂は、音楽に登場する水の精たちの精緻な分析にある。ワーグナー『ラインの黄金』の水のイメージに始まり、ドヴォルザーク、ショパン等の作品中で水の精がいかに表現されたかが解説されるが、とりわけ著者が力を注ぐのはドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』の構造の解明である。つかみ所のない、まさに淡きこと水のようでありながら男を破滅させるメリザンドの性格を追ううちに、『宿命の女』の探求に踏み込んでいく。