味わい本 発見!
名訳者にして名鑑賞家の”骨董エッセイ”に酔う
本書に収められた「わが骨董の歴史」(初出は昭和25年の『芸術新潮』)には、「骨 董の美しさに耽溺していると、どうも、女色からはとおざかるものらしい。(中略)狂 的な美術愛好家には、インポテントが多いのではあるまいか」という一節がある。ここだけ読むと、青柳瑞穂(1899~1971)という人、いい感じに枯れたじいさんかと思うが、違う。
このとき、51歳。本業は仏文学者、翻訳家だが、骨董の目利きとして名を馳せた人だ。太宰治、井伏鱒二らとも交友があったらしい。もう少し読み進むと、「畢竟、不幸な男を、セトモノのつめたい肌はなぐさめてはくれない。だから、彼には熱い酒、生きている肌が必要なのだろう」などと締めくくられている。おいおい、中途半端に生臭いじゃないか。
このエッセイ集の編者は、孫である青柳いづみこ氏。巻末の「見る人・瑞穂」という解題が見事だ。ピアニストであり、文筆家でも知られる氏の、祖父に対する愛憎半ばした書きぶりに、ドキっとする。「瑞穂は、女も骨董のようにして観たのである」というような端々の口調に、すでに『青柳瑞穂の生涯──真贋のあわいに』という、血縁者ならではの鋭い評伝を書いている氏の、ただならぬ複雑な思いが滲む。
青柳瑞穂は、昭和十二年、青梅街道沿いの、「東京で五流の店」で、尾形光琳の肖像画「中村内蔵助像」を、ただみたいな値段で買った。もし、いま市場に出て、適正に評価されたら、軽く一億円以上の値段がつこうと思うこの絵を、彼は「七円五十銭」で買ったことを、一見「淡々と」書く。
だが、本書から読み取るべきは、いづみこ氏も言うように「意外に小説的な粉飾が多い」こと。「わたしは空襲も、本土上陸もとそれることなく、毎日、毎晩、骨董三昧にふけっていた」というのは、多分嘘だろう。でも、そう書く青柳瑞穂は、「骨董」に対する自らのリアリティーをこの文章に込めていたに違いない。凡庸な美術史家は、そんなリアリティーを持ち合わせてはいないから、「粉飾」が心に響く。