祖父から孫娘に 隔世遺伝した美的感覚
ピアニストでフランス音楽についてのエッセイも執筆する青柳いづみこさんが、青柳 瑞穂の孫娘であったと知ったのは『青柳瑞穂の生涯――真贋のあわいに』(日本エッセイスト・クラブ賞受賞)を読んだときのこと。古美術収集・鑑賞に耽溺し、仏文学者でもあった瑞穂は、さりげなく美しい文章で骨董に関するエッセイを書いた。実母を自殺という形で失ったいづみこさんの父は祖父・瑞穂と確執が続いて口もきかなかったし、母は母で瑞穂のまわりに漂う頽廃した空気を嫌っていたが、いづみこさんは瑞穂の家に出入りし、かわいがられたという。
『青柳瑞穂 骨董のある風景』は、そんな孫娘が祖父の遺した数々のエッセイから編んだ一冊である。
「阿佐ヶ谷の祖父の家と隣りあった家に両親と私は住んでいましたから、祖父がそのへんにころがしていた骨董のたぐいを身近に見て育ったんです」
いづみこさんが懐かしむ骨董の話はこのエッセイにも写真つきで登場する。古赤絵の水滴は昼寝をするおじいさんのかたち。陶器パイプはオコゼのかたち。子どもの目におもしろく、それでいてなんともいえない味わいがある、飾り気のない骨董を瑞穂は好んだ。晩年は華やかな尾形乾山に走り、失敗も重ねたが。
「今にして思うと、祖父の言葉の端々に漂っていたのは常に真贋を量る精神だったと思います。食べ物だって本物だけ食べたい。わがままな人で、おいしいものが手に入ると自分ひとりで食べるんです(笑)。人の真贋も、いつも観察しているようなところがありましたね。女性についてもそう。祖父の好みは“古備前のような女”だったようです」
“古備前のような女”とは、“乾山のような女”よりかなりツウ向きで、レベルが高そうな気がする。
「父は私のことをピアニストにしたくて、私も半端な才能があったものだからその道を進んだけれど、本当はものを書く仕事がしたいと思っていました」
ピアノを始めた当初はドイツ音楽ばかりをさらっていたいづみこさん。結局はフランス音楽と物書きをなりわいとする。隔世遺伝の果実を見て、彼岸で笑う瑞穂の顔が見えるようだ。