数々のピアノ曲肉声聞く思い
あのドビュッシーがパリの小径を歩いている。「海」「夜想曲」「月の光」などで知られる音楽家だ。今年で生誕150年。その傍らにつきそって、あれこれ喋(しゃべ)りかけているのが、当代一のドビュッシー弾きと言われるピアニスト青柳いづみこ。通い慣れた道らしく、楽し気に二人は語る。
まるで、そんな雰囲気で丸ごと一冊が読める音楽エッセーが『ドビュッシーとの散歩』。著者にはすでに詳細かつ斬新な視点を盛り込んだドビュッシーの評伝(中公文庫)がある。ここでは、ピアノ作品40曲を取り上げ、曲の背景にある物語やエピソードを交えながら楽しく紹介している。
「楽しく」と書いたのはウソじゃない。クラシック音楽のエッセーときたら、膝を揃(そろ)えて、背筋を伸ばして読まされる気分のものが多いが、これはまるで違う。ドビュッシーの「雨の庭」を弾いていると、「和田アキ子を口ずさんでしまいたくなる」と言うのだ。旋律の一部が「どーしやぶりーの雨の中で」と似ている、って本当かな?
あるいは、「ピックウィツク卿礼替己にイギリス国歌が登場する話。ドビュッシーは「イギリスかぶれ」と言いながら、じつは、「『なんちゃってね』とでもいうような皮肉」で茶化(ちゃか)しているのだと明かす。このとき、読者は著者と一緒に、フランスの音楽家と寄り添って、肉声を聞かされた思いがするだろう。
もっとも感動的なのは、著者がピアニストとしてドビュッシーを弾き始めた頃を描いた「しかも月は廃寺に落ちる」。同名の曲を演奏したとき、フランスのピアノの大家から批判される。しかし、この曲は「東洋的な音階や美意識をよりどころ」にした「ほわんと宙に浮いているような」音楽だった。著者は悟る。「ドビュッシーの美意識にぴったりはまるのは、むしろ私たち東洋人の感性なのだ」。
著者が弾いた「水の音楽」は、深夜や早朝における私の愛聴盤だが、西洋の音楽を聴いているという意識はない。著者のことばを借りれば、「いつのまにか忍びこんできて」「一緒になってのびひろがってくれる」のだ。それはこの本を読む際の気分でもある。