【関連記事】書く人「阿佐ヶ谷アタリデ大ザケノンダ」(東京新聞2020年12月5日付)

文士が愛した町の今昔

ピアニスト・文筆家青柳いづみこさん(70)

子どもだった昭和三十年代。自宅と棟続きだった仏文学者の祖父・青柳瑞穂邸には、東京の中央線沿線に住む文士がたまり、ひたすら飲み明かしていた。その名は「阿佐ケ谷会」。『黒い雨』で知られる作家・井伏鱒二、私小説作家の上林(かんばやし)暁や外村繁(とのむら)…。瑞穂もその一人だった。「当時は、お酒を飲んで騒いでいる人たち、という印象でした」と振り返る。

本書は二年前、本紙で担当したリレー連載「私の東京物語」をもとに加筆した。文士の人間模様から髪(びん)付け油の香り漂う「相撲の日」の在りし日、そして自身が行きつけにする店のイチ押し料理まで。のべ半世紀暮らしてきた町の今昔を描く。「人やものの栄枯盛衰には興味があったんです。記憶力がいいのは音楽家の特技かもしれません」

同時期に集まっていた「鎌倉文士」と並び称されることの多い阿佐ケ谷文士だが、その気質は正反対だったとか。「みんな着物を質屋に入れちゃったから、服装はいつも浴衣。鎌倉文士と同じでお坊ちゃまばかりなんだけれど、好んで貧乏になって女を苦労させて。そうしないといい文学が書けない、と思われていたのでしょう」。どこか愛情を帯びた口調で懐かしむ。瑞穂も骨董(こっとう)趣味に没頭して、家族を困らせていた。

阿佐ケ谷会の始まりは、戦前に「ピノチオ」という名の中華料理店で将棋を指していた井伏らの「阿佐ケ谷将棋会」にさかのぼる。この中には、井伏を慕ってやってきた太宰治もいた。「やんちゃでどうしようもない末っ子。しょうがないことばかり起こすけれど、みんなにかわいがってもらえる。ファミリーのような雰囲気だったんでしょうね」

井伏の言うことだけは聞いていた太宰。実家の番頭が井伏を訪ねて太宰の妻帯を頼み込むなど、ここでも話題に事欠かなかった。

二〇〇二年、文士をこよなく愛する有志らで「阿佐ケ谷会」を復活させた。こちらは将棋を指す代わりに、ピアノを弾いてから幕を開ける。「本家の文士は井伏以外、当時ほぼ無名だったけれど、こちらの面々はそれぞれの分野で売れっ子ばかりなんですよ」。文士のように暇ではないので、なかなか会えないのが悩みだ。

時代は変わり、ピノチオはじめ文士の通った店の大半は、なくなってしまった。それでも個性派を引きつける街は、やっぱり当時と変わらない。

(宮崎正嗣)

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