美しい響きのために
完璧落ちこぼれピアニストの私ではあるが、若い頃、ある先生に素晴らしい脱力のテクニックを叩き込まれた。当時、音大を受ける生徒は、難解な練習曲を機関銃のようにバリバリ弾いたものだが、その先生はいつもレッスンの半分くらいを基礎テクニックの練習に費やし、豊かで無理のない音を作ることを重視した。それもあって、私はついに機関銃のように弾けるようにはならなかったが、その代わり、美しい響きや自然な動きには敏感だ。今でも、力で弾きまくる人の詰まったような音を聴くと、呼吸困難に陥る。
先日、ドイツのある音大教授のピアノを聴いたら、まさにそれだった。ファゴットの伴奏なのに音が硬くて、木管の柔かな音色に添わない。ところが、彼は子供のためのテクニック教則本などを自費出版しており、日本で翻訳を出したい意向とか。聞き捨てならぬ。
そこで、演奏会のあと話を聞くと、既成の練習曲で子供のためにいいものは一つもないので、レッスンは自分の編み出したメトードでやっているとのこと。脱力はどのように練習させるかと尋ねたら、脱力というのは危険な観念であるという回答。
「でも、手首も肘も固くては、演奏は出来ないでしょう」と食い下がると、「脱力をしていては動けない。猫が機敏な動作なネズミを取るのに、脱力していますか?」と言われ、私は言葉に窮した。ヒアノの演奏は、ネズミ狩りとは違うでしょう!?
このたび、青柳いづみこさんの『ピアニストは指先で考える』を読み、この本をあの教授に読ませてやりたくなった。第一・第二章に、テクニックの取得の方法が、微に入り細を穿つように書いてある。もちろん、脱力の練習法も。
読みながら、「そう、その通り!」と悦に入り、そのうちそれだけでは物足りなくなって、ピアノの前に移動して実際にやってみたり、「ピシュナ? どこかにあったはずだ」と色あせた楽譜を引っ張り出したり、大いに楽しんでしまった。
いずれにしても、書かれている内容は、ことテクニックに関しては、優しい言葉を選びながらも、完全に専門的である。対象読者は、本格的にピアノを勉強している人たちであろうか。
正しいテクニックは、芸術を表現するために絶対不可欠だ。ただ、その習得には根気が要るし、たいていの生徒は、そんな苦労はせずに美しい曲だけ弾きたいと思っている。だから、「曲はともかく、まずテクニックを直しましょう」などと言う教師は、嫌われることになる。それを敢えて行なっているのが著者である。堂々と正道を行く様子が、読んでいてあっぱれだ。
この本は、テクニックの話のほか、音楽周りの様々なこぼれ話が楽しい。一つのことにひたすら打ち込んできたからこそ、これだけ深みのあるエピソードがたまっていくのだろう。著者はたしかに指先で感じ、そして考えている。
蛇足ながら、脱力のための「こんにゃく体操」だけが、うまく想像できない。どうしても見学してみたくてたまらなくなってしまった。