練習怠ると発する指先の「シグナル」
今月上旬に『ピアニストは指先で考える』(中央公論新社)という本を上梓したところ、タイトルが不思議らしく、「どういう意味ですか?」と質問される。
きっかけは、何年か前に刊行したエッセイ集のこんな一文だった。
「ピアニストは、指先で考える動物といわれる。たしかに、反射的に指が動くようになるまで徹底的に訓練しないと、とても演奏家はつとまらない。しかし、ピアノを弾く人が、自分の指が弾けてしまうようなふうにしか楽譜を読むことができないとしたら、あるところで必ず壁にぶつかるだろう」(『双子座ピアニストは二重人格?』)
このときはむしろ否定的な意味で使ったのだが、「指先で考える」のフレーズに反応した編集者がピアニストの身体感覚をテーマに連載を依頼してきて、その連載が一冊にまとまったというわけである。
私たちピアノ弾きは手指の先に、たぶん一般の人にはない感覚をもっている。たとえば、爪。水泳選手は人より少しでも先にタッチするために爪をのばしているときくが、私たちは反対で、できるだけ短く切っておく。ネイルアートやつけ爪などはもってのほか。
映画が大ヒットした『戦場のピアニスト』で私たちが身につまされるのは、隠れ家でドイツ人将校に発見された主人公のシュピルマンがピアノを弾くシーンだ。
「二年間まるで練習していない! 指は垢にまみれ、こわばっている。隠れていた建物が火災を起こした頃から爪も切っていない」
二年どころか、ほんの二~三日弾かないだけで爪はのび、鍵盤に当たってカチカチ音を立てる。音より先に指先が発してくるのは、ある種の「怠けシグナル」のようなものだ。それを感じ取ったとたん、私たちは猛烈な後悔におそわれる。シュピルマンのように正当な理由があって練習できないときですら、やっぱり何かしら屈託がある。
「タッチ」の微細な感覚も、同業者にしかわからないもののひとつだろう。鍵盤を押した瞬間ストンと指が落ちてしまうもの、途中に適度なあそびがあるもの、サクサクした感触のもの、ズシンと重たいものなど、楽器によっても千差万別である。
こちらもにも好みがあるのでいろいろ注文を出して調整してもらうが、感覚用語を技術用語に変換しなければならない調律師さんも大変だ。ピアノの状態は温度湿度によってまた変わってしまう。鍵盤が指先にはりついたり、タッチの戻りが悪くなってきたりしたら湿度が上がった証拠だ。コンサート中に雨が振った時刻を正確に言いあてたこともある。
タッチの問題は、単に弾きやすい、弾きにくいだけではなく、演奏の内容、解釈や表現にまでかかわってくる。ひとつのタッチがうまくいかなかっただけで、音楽的設計にもひびがはいる。即興性にも支障をきたす。
心理的なものもある。グレン・グールドが演奏する直前まで手をお湯に浸していたというエピソードは有名だ。体質的に血流があまりよくなかったこともあるだろうが、ステージの緊張もたぶんに作用していたにちがいない。アルゼンチンの名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチも、演奏前は「すべてが冷たくなり、ひざをバンバン叩く」と語っている。
演奏中も、ステージ上にうずまく風が肩や腕を冷しつづける。しかし、これが不思議なのだが、音楽にはいりこんだ瞬間、いっさいがまったく気にならなくなるのである。指の形も爪の長さもタッチの重さ軽さも鍵盤の戻りぐあいも。そういうときのピアニストの手は温かく、指は適度に湿りけをおびている。
指先に発し、指先にこだわり、そして指先を忘れたときに本物の”演奏”がはじまる。