一瞬の移ろい見つめる
ピアニストであり、ドビュッシーの研究家として博士号を持ち、さらにエッセイストとして数多くのファンを得ている青柳いづみこが、いよいよ初の長編小説を上梓(じょうし)した。
主人公はピアニストを志すひとりの少女。彼女は風邪をこじらせたのが原因か、声帯を傷めて声を喪(うしな)う。少女はいくつもの医師のもとを巡り、発声法を熟知した声楽家のレッスンを受け、さらには祖母の住む山深い集落で療養生活を送り、声を取りもどそうとする。…などとあらすじめいたものをしるすとトーマス・マンの教養小説に似たものと思われそうだが、本書は決してそういう物語ではない。主人公のまなざしにいざなわれ、読者も五感の感覚をよみがえらせていく-そんなただならぬ小説なのだ。
考えてみれば、私たちの周囲には恒久的な事物より、一瞬にして消えてしまうもののほうがはるかに多い。たとえば光や影。匂いや味。もちろん、音もそうだろう。そうした一瞬で消えゆくものを、日ごろの私たちは恒久的なものと錯覚して生きている。だが、声を喪ったせいだろうか、微妙な「移ろい」とか「揺らぎ」に対し、物語の主人公はとぎすまされた視線を向ける。
たとえば、少女と声楽家が能の「隅田川」を観(み)る場面がある。わが子の死を知ったシテの所作について、声楽家は「あんな抑えた演技では何も伝わらない」といい、少女は内心で、抑えた演技でなければ悲しみは伝わらないと思う。ピアノを弾きながら、医院の診療室で、あるいは田舎の屋根裏で、「移ろい」や「揺らぎ」に目を向けるうち、少女は忘れていた過去、さらにはおのれの原罪にまで近づいていく。
音楽というあえかなものとともに生きてきた作者の筆は、時としてエロティックな心境へと読者を誘う。となると、少女がさらに成長した続編も読みたくなってくる。