これは音楽批評なのか? いや違う。ピアノ技術論なのか。そうではない。芸術家評伝なのか。それともずれる。強いていえば、その全ての要素を含み込んだ演奏芸術論である。ペンを持つピアニストが、今までにない綱渡りを試みた。
本書で扱うのは、神に愛されし天才にフランス派を加えた六人のピアニスト(重なりもある)。著者はステージや録音を通した演奏の分析に加え、本人の言動や他者の証言から見える人間性や芸術観をも踏まえながら、パフォーマンスとしての演奏芸術を総合的に論じていく。タッチと音色の完璧主義ゆえにミケランジェリは歌を封印し、強靱な技術を誇るアルゲリッチが孤独なソロ演奏を恐怖する。プロの目から、彼らの演奏の強みと弱みが浮き彫りにされる。
楽屋裏を明かすのは興ざめではないかと、天才神話と演奏の魔術に酔いたい人には不満も出よう。しかし、同業者ゆえの共感と冷静な解析には説得力があり、私にとっては聴く楽しみが増えた。また、規格外の天才のみならず、教育者型のバルビゼを入れたところに、師へのオマージュとはいえ、著者のバランス感覚がある。
演奏芸術には技術の裏付けが必要だが、完璧な技術があっても芸術になるとは限らない。「フレーズのゆらぎ、リズムの一瞬のすき間に、彼の思索、彼の愛、彼の無常観が詰まっていた。ときおりミスタッチはしたかもしれないが、芸術としては完璧だった」(破滅型のサンソン・フランソワについて)。
結局、演奏のスタイルはその人の美学と生き様に根ざす。天才も人間だという事実を掘り下げると、天才はやはり天才だという輝きが深い陰影を帯びてくる。むろん、究極の世界を目指すのは演奏芸術家に限らない。本書は他の領域にも開かれている。
ピアニストでなければ書けない、ピアノを弾けなくても面白く読める、新たなタイプの芸師論。最後まで筆致に乱れはなく、演奏は成功した。音楽ジャンルを越えた近年の収穫である。