青柳いづみこはピアニストであるとともに著作家としても活躍していて、師である安川加壽子の評伝『翼の生えた指』や、祖父でフランス文学者の評伝『青柳瑞穂の生涯』で高い評価を受けているが、今回のこの著作で、短いエッセイでも実に味わい深い文章を書く人であることがよく分かった。このエッセイ集は80年代から今日まで、20年間にわたる歳月のあいだに様々な機会に書かれたのをまとめたものだが、もともと著者にきわめて一貫した姿勢があるからか、それとも編集者のまとめかたが上手かったのか、初めから一冊の本にまとめられることを意図したかのように整然としたまとまりを持っている。
その話題は、やはり著者が演奏家としていちばん関心を持っているドビュッシー関連のものが多いが、ほかにも作曲家論、ピアニスト論、ドビュッシーと世紀末芸術とのかかわり、そして著者のこれまでの経歴に関するもの、食や酒に関するもの、そして、批評や「書くこと」の姿勢に関するもの、と多岐にわたっている。それほど多岐にわたっていながら、不思議な統一性を持っているのは何故なのか。思うにそれは、すべての事象がいったん著者の人間性を通過して、著者にとってかけがえのないもの、とりかえようのないものとして捉え返されているからだと思う。
たとえば著者はドビュッシーの淡い部分と世紀末的部分の二面性、「二つ」のドビュッシーについて語るのだが、それはタイトル自体にもあるように、著者自体が「二つ」に引き裂かれた部分を抱えていて、その生のありようがドビュッシーの存在と深く響き合うからなのだ。そうした「生」のありようがいちばんよく表現されているのが、著者が修行時代のマルセイユでの体験を語った部分。「音楽する、ということが本質的に生きることと同義であるとすれば、私は初めてそこで本当に生きたから、私の音楽も生き返ったのだろう」(「ニースの桃の夢」)。私はこの文章にとても感動した。また、批評について書いた箇所は、身につまされる部分でもある。音楽すること、書くこと、生きることの切実さが伝わってくる素晴らしいエッセイ集である。