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『水の音楽』というタイトルでCDと本という二つの媒体がシンクロした珍しい企画が、ピアニストと作家の二足のわらじを履いた希有のアーティスト、青柳いづみこによって実現した。

この機会に、青柳さんに今回のこの二つの芸術作品のことと、好きな作曲家、ピアニストなどをはじめ、才女青柳さんのバックグラウンドを徹底的にうかがってみた。

──二つの企画を同時発売されたわけですが、さぞかし大変な作業だったことと思いますが。
青柳 もう大変でした(笑) 。連休明けまで本の執筆をしていて、レコーディングは六月中旬、終わったと思ったら本の初校ゲラが届いていたりして。ちょうど入れ子になったような状態だったのですが、奇跡的に重ならずに二つのことができました。八 月二十七日に本の(校正の)三校、その直後の二十九日にCDのマスタリング、というよう なハードスケジュールでしたが。

──このCDと本を同時に発売するという企画のそもそものきっかけについてお話しいただけますか? 十八年前にお書きになったものから、今回の著書『水の音楽』ができたと伺っていますが。
青柳 私は、芸大の修士課程を出て一度留学し、ピアニストとしてデビューしてから博士課程に再入学しているんですが、そのときに書いた三十枚の原稿がきっかけです。 その後、編集者のすすめで二五〇枚に加筆、二年前にみすず書房の会議に通って、再度五〇〇枚弱に書きあらため、ようやく出版に至ったわけです。今年の初め、そのことをあるプロデューサーに話したら、「本の中でピアノ曲が語られているなら、その曲目でレコーデングしたら」と進言してくれて、今回のようなCDと本のタイアップが実現しました。

──私も本を読ませていただいて、何より初めの神話の部分の博識ぶりに感心しましたが、これは、やはりお祖父さまがフランス文学者でいらしたというお宅の環境でしょうか。
青柳 たしかに、古事記やギリシャ・北欧神話で育ちましたが、私の世代はみんなそうじゃないかな。あとはアンデルセン童話ですか。小学校にあがる前、旧約聖書のぶ 厚い本が枕元にあって、寝る前にいつも読んでいました。アブラハムの子はイサク、 とか、名前が羅列されているところが妙に面白くて。そのせいですかね。私の本にも 知らない名前がたくさん出てくるから読むのをやめちゃった、とか言われたりしま す。(笑)

──CDの曲目の選択は、どのようにしてなさいましたか?
青柳 結果としてきれいな曲が並んだと思いますが、実は、けっこうこだわって選んでいます。水の音楽には二種類あって、水の精に関するものと、水のさまざまな様相を描いたものがあります。それぞれのルーツや系列、対比がポイントです。たとえ ば、ラヴェルの《水の戯れ》のルーツはリストの《エステ荘の噴水》だし、逆にドビュッシーの《水の反映》は、ラヴェルとは全然違った目的で書かれたものだし。同じオンディーヌでも、ドビュッシーとラヴェルのでは全然タイプが違いますしね。

──水の精にもいろいろあるようですね。
青柳 本の中では、ラヴェルの《オンディーヌ》を“出かけていく女”、ドビュッシーの《オンディーヌ》のモデルになったフケーのウンディーネを“網をはる女”、「なじかは知らねど」ではじまるハイネのローレライを“ひきずりこむ女”なんて分類しています。CDに収録しているリストの《ローレライ》は、ハイネによる歌曲の編曲です。 最後に収録した《シチリアーノ》は、フォーレの《ペレアスとメリザンド》の一曲ですが、メリザンドは、存在そのものが悪になる“何もしない女”。

──本の『水の音楽』は、女性論でもありますね。
青柳 そうそう、どういう女が一番悪い女か、とかね。

──ご自身についてはどう分析なさいますか? オンディーヌのような“出かけていく女”だと拝察しましたが。
青柳 “網を張る女”、なんちゃって(笑) 。言わせるように仕向ける方が強いでしょ? でも、私、好きになるとすぐ言っちゃうから、“出かけていく女”でもあるかなぁ。

──話を戻しましょう(笑) 。CDのなかで一番うまくいったと思っていらっしゃる作曲家は?
青柳 リストです。私は、リストは大きな構造を持つ曲として、オーケストラをイメージして弾きたいのです。学生時代から、スコア・リーディングが好きで、ムソル グスキーの《禿山の一夜》、ドビュッシーの《牧神の午後》《海》など、ピアノで弾 けるギリギリのところまで弾いていました。あとでお聞きしたら、キングレコードのディレクターの松下さんも指揮者志望だったらしいのですが、そんなわけでとても楽 しく収録できました。

──私もリストの解釈を新鮮に聴きました。リストについてどういう捉え方をしていらっしゃいますか。
青柳 日本では、リストは指が難しいとか、派手な曲というイメージですが、ヨーロッパでは、リストはまず
ワーグナーとの関わりで捉えられています。以前、フランスで師事したピエール・バルビゼが来日して公開講座を開いたときに、ある学生がメカニカルなリストを弾いたのですが、バルビゼは会場に向かって、ここにピアノ以外の楽器を専攻している人はいないかとよびかけました。たまたまホルン奏者が楽器を持って聴きにきていたのです。バルビゼはホルン奏者を舞台に上げてワーグナーの楽劇を思わせる旋律を吹かせ、残りの部分をピアノで弾きました。そういう風にしてイメージを与えたら、学生の音ががらっと変ったのです。リストほど、最もピアノ的な 作曲家だと思われていながら、ピアノではない方向からアプローチしないと曲にならない、という作曲家も珍しいですね。

──私は、ポワチエの夏期講習会で分析のクラスの通訳助手をしていた時に、バルビゼのレッスンに接して感動したことを思い出しました。青柳さんは、彼とはどんな曲を勉強なさったのですか?
青柳 バルビゼには、主にベートーヴェンを習いました。それで、日本でもデビューしたてのころはベートーヴェンを弾いていたんですが、「このピアニストはフランス 帰りだからドイツ音楽はあまり得意ではない」というような批評が二、三回出て、これはダメだと思って弾くのをやめてしまいました。

──もう一度ベートーヴェンを弾いて下さればいいのに。
青柳 六十歳になったら弾きますよ(笑)。フランス物ばかり弾いていると、お客さまにとってもいつも同じ曲になってしまうし、どこかでレパートリーを拡げていかな いと、指にもよくないんです。ピアニストとして基本的なものに立ち戻って、手の可能性を拡げ、パレットに色を増やしたところで、またあらためてフランス音楽を弾く、というようなことをくり返していかないと。

──それにしても、青柳さんがベートーヴェンをお弾きになる方とは知りませんでした。
青柳 一番好きな作曲家がベートーヴェン、次はモーツァルト。バッハはちょっとだめで、シューマンも、リズム物以外はだめ、そして妙にショパンが好きだったりします。

──ラヴェルとドビュッシーだったら、ドビュッシー派ですか?
青柳 そこが私の変なところで、ピアニズムの系列からいえば、ラヴェルのルーツはリストで、ドビュッシーのルーツはショパンなのです。ところが私は、ショパンとリストだったらリストの方が弾きやすいけど、ドビュッシーとラヴェルでは、どういう わけかドビュッシーの方が手になじむ。ラヴェルは、ピアノを使って書いていないの で、もともと弾きにくいらしいですね。スペインの名ピアニスト、リッカルド・ヴィニェスも言っていますね。「ドビュッシーは弾きながら書いた。ラヴェルは頭で書いた」って。

──ラヴェルの楽譜に組み込まれた人工的なルバートのことは、本にも書いていらっしゃいますね。
青柳 楽譜に書いてある通りに弾きさえすればルバートできるっていうんですが、これがむかつきます(笑) 。今では、《水の戯れ》だって《オンディーヌ》だってみんな勝手にルバートして弾いているようだし。ラヴェルは天国できっと怒っているでしょうが。(笑)

──安川加寿子先生の所ではフランス音楽を勉強されなかったのですか? 青柳さんのフランス物はてっきり安川先生仕込みだと思っていましたが。
青柳 芸大の学部にいたころは、安川先生にフランス物を習ったことはないんですよ。祖父がフランス文学者で、師事している先生が安川先生で、習っているものがフランス音楽なんて、できすぎでしょ? 博士課程に再入学してドビュッシーの論文を書くことになったとき、年に一度学内で、研究に関するリサイタルを開くことが義務づけられていたので、そのとき初めて安川先生にドビュッシーを聴いていただきました。こてんぱんにやられましたが(笑) 。

──予想していたのと全く違う音楽歴で、驚きました(笑)。いちばんピアニスティックに尊敬できる方は?
青柳 皆さん、尊敬しています。ポゴレリッチもアルゲリッチもすごいと思いますし、最近では、オリ・ムストネンも、とても好きなピアニストです。そんなビッグ・ネームではなくても、芸大時代の同級生でも、尊敬するピアニストは沢山います。でも、ショパンとリスト、ドビュッシーとラヴェル、この両方を弾きわける人はなかなかいません。やはりどちらかがすばらしいということになる。本当は二種類のテクニックを使いこなして、両方弾けないといけないのではないかと思うのですが。私には、両方の奏法を使いわけてみたいという秘かな欲望があります。手の形が合わなかったりということはありますが、どうしたら弾き分けられるかというメカニズム は、少しはわかるような気がします。たぶん人に教えた方がいいのでしょうが、自分で弾くのは結果がともなわないからいやですね(笑)。

──私は最近の演奏会で、男女関係なく特にデ・ラローチャがすばらしいと思いましたが、彼女は両方の弾き方を備えているピアニストですよね?
青柳 ええ。ラローチャは本当にすごいですね。スペイン物はもちろんすばらしいけれど、れだけではない。シューマンもいいし、モーツァルトもすてきです。クラヴサン物も見事。オールマイティで、しかも音楽が人工的でなく暖かい。ラローチャは、レッスンを受けたあるピアニストが言うには、可哀想になるくらい手の幅が狭くて、こんな手で普通は弾けないと思うほどだそうです。ではなぜあれほど弾けるかというと、背筋がとにかく強い。衝立てみたいでしょう(笑) ? それですべてを支えている。それからスペイン系のテクニックはすごく手首を使います。手首を使うと、前腕が強くなるので、いろいろな運動がとても楽になる。

私はときどき、もしかして演奏には女性が向いているのではないかと思うことがあります。演奏とは、流れに身を任せたり、他人が作った家に順応していくというような作業ですから。ピアニストの高野耀子さんによると、ベネデッティ=ミケランジェリは、家にいる時は完全なイタリア人で、カンツォーネのように歌いながらピアノを弾くんだそうです。ただ、すごい恥ずかしがりやで、ステージに出るととたんに孤高の人になってしまう。高野さんは、二年ほどミケランジェリの内弟子でいらしたのでよくご存じなんですが、「なんであんなにまじめに弾くのかしらね」とおっしゃっていました(笑) 。男性のピアニストは、本音より建前が出てしまうのではないかしら。女性はオフィシャルとパーソナルの区別をつけないことが多い。だから田中真紀子さんが男性社会で困られているわけです(笑) 。でも、演奏は建て前だけだと聴く人が疲れるから、女性の方が、ある意味では向いているのではないかと。

──今回のCDでとくにどこを聴いてもらいたいと思いますか?
青柳 ショパンでは、通説にあえて逆らって、水をイメージして弾きました。「バラード第二番」や「第三番」は、以前は水の精の物語にもとづいているといわれていました。最近は否定されているのですが、私は直感的にとても水の精っぽいと思いました。本でも書いているような水の二面性、静かな湖が突然豹変するようなところ は、今回の録音でもかなりできたのではないかと思っています。

さきほどお話ししたようなドビュッシーとラヴェルの弾きわけも、ある程度は聴きとっていただけるのではないでしょうか。普通、この二人は同じ印象主義の作曲家としてくくられていますが、実は、自然を愛したドビュッシーと、人工的なものを愛したラヴェル。手が柔らかかったドビュッシーと固かったラヴェル。対照的なんです。ラヴェルの《水の戯れ》はあくまでも水の描写で、音の粒ひとつひとつがキラキラしていなければならない。具体的には、指の根元の関節のバネを使って弾きます。ドビュッシーでは、逆にひとつひとつの音が光りすぎないように、指を長くのばして、主に指の腹を使い、響きがきれいにハモるように工夫して弾いています。

私は、本でもCDでも、全体としてひとつの作品として成り立っているものを作りたいと思っています。ひとつのコンセプト、ひとつの価値観で全体がまとまっているものを。その意味では、グールドが初めて評論の対象になりうる「作品」としてのレコードを作ったピアニストではないでしょうか。だからこそ、グールドについて今なお語りたい人がたくさんいるのではないかと思います。

さて、読んでから聴くか、聴いてから読むか?「CDを聴いてから、もっといろいろ知りたいと思った方に本を読んでいただきたいたいですね。」そう語る青柳さん。「悪女論に関するエッセイが来年の春ぐらいに出ます。『無邪気と悪魔は紙一重』というタイトルの。楽しみにしてて下さい。」

文筆家として、また演奏家としてものりにのっている青柳さんの、今後の活躍を期待せずにはいられない。

水の音楽~オンディーヌとメザリンド~
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水の音楽 オンディーヌとメリザンド
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