共同通信配信の書評が11月10日付け沖縄タイムス、11月11日付け京都新聞、中国新聞の朝刊、11月18日付け北日本新聞に掲載されました。
多彩な音楽家捉えた評伝
「怪物」という表現は言いえて妙である。ピアニストとしても、作曲家としても、人並み外れた力量をもち、博学多識で文章は天下一品、毒舌家でもある。しかも、人の心を惑わす魔性があって、正体がつかめない。
高橋悠治とはそんな音楽家である。悠治の評伝を書くとは何と大胆な…と思ったら、著者はピアニストで数々のエッセー賞に輝く青柳いづみこである。この人も「怪物」と言っていい。ピアニストとして企画性の高いコンサート活動をしながら、ピアニストの安川加寿子、グレン・グールドをはじめ、一癖も二癖もある人物たちを活写する評伝で知られる逸材だ。
本書は2014年からの取材に基づいて書き下ろされた。青柳が悠治と関わりができたのは12年。連弾や2台ピアノで共演を始めたのが14年なので、ちょうど現在形の悠治のピアノに間近で接しながら、彼の過去の演奏に関する調査に取り組んだことになる。
グールドとの比較、アンチ・エインターテインメントに向かう原点となった「草月アートセンター」の企画、動きが速すぎて指が切れて鍵盤が血だらけになるクセナキス作品の演奏と、1960年代からの演奏活動を跡付けていくのだが、舌を巻いたのは徹底した資料収集だ。演奏は消えてしまうので、過去の活動は公演評や新聞記事でたどることになる。仏ルーアン大のクセナキス・センターへの問い合わせをはじめ、データ収集が根気よく続けられたことがわかる。
政治意識の高い家庭に育った悠治は三里塚闘争の集会にも行き、やがて素人による「水牛楽団」をつくり、月刊誌「水牛通信」を発行する。青柳が述べているように、地下にもぐるのではなく、マスコミも利用しながら、外へ広がる運動だったからこそ、あの時代、強烈な存在感を放っていたのだと感じた。
面白いのはちりばめられていた青柳の演奏評。悠治の弾くバッハのごつごつとした感触。ゆらぎ踊るリズムを思い出した。
(白石美雪・音楽評論家)