【インタビュー】東京新聞 2016年10月29日 夕刊文化面 土曜訪問

青柳いづみこさん(ピアニスト、文筆家)

クラシック音楽の本というと、専門知識の乏しい身としてはつい身構えてしまう。その点、「モノ書きピアニスト」として活躍する青柳いづみこさんは、きらびやかな音楽の世界と一般の読者とを架橋する稀有な書き手だ。新刊の『ショパン・コンクール』(中公新書)では、世界最高峰のピアノコンクールの内幕をスリリングに描きながら、ショパン論や音楽教育論へと筆を伸ばしていく。

ショパン国際ピアノ・コンクールは、ショパンの故郷ワルシャワで五年に一度開かれる。五輪やサッカーW杯にも例えられるピアニストにとって夢の舞台だ。

青柳さんは昨年の第十七回大会で、春の予備予選と秋の本大会(第一~三次予選、本選)の全日程を取材し、延べ約三百人分の演奏を聴いた。「審査が終わる時間には、レストランはどこも閉店。遅くまで開いているマーケットの近くに宿を見つけるところから始めました」。よく磨かれたピアノの前に腰かけ、取材の苦労を語る。

そのにこやかな口調とは裏腹に、取材の動機は「怒り」だった。二〇一〇年の第十六回大会では、有力候補が大会前のDVD審査で落とされたことに審査員が抗議。一度は落とされた出場者が優勝するという事態になった。「それを聞いて、優勝者が落ちるDVD審査って何なの、と」

数多くの若手が五年間、どれだけの準備を重ねてこのコンクールに臨んでいるか、痛いほど知っている。「落ちた一人一人の切ない思いを受け止め、みんなが納得する人を選ぶコンクールにしないといけない」との思いで取材、執筆した。

「予備予選からミスが一つしかなかった」という今回の優勝者チョ・ソンジン。「共演したオーケストラの準備不足」で二位に泣いたシャルル・アムラン。日本人唯一のファイナリストとなった小林愛実。出場者たちの演奏が臨場感たっぷりに描写され、会場の雰囲気まで浮かんでくる。何より、予選で消えていった無数のピアニストたちへのまなざしが温かい。

一方で、審査に対しては厳しい目を向ける。地元ポーランドの出場者の優遇を嘆いたり、居眠りをする審査員をチクリと刺したり。「審査基準が定まっていないということを分かってほしかった。採点競技のフィギュアスケートと比べても、非常に遅れている」

ショパン・コンクールはこれまで、伝統にのっとって正統的な解釈をする「楽譜に忠実派」が評価されてきた。だが今回は、独自の解釈で個性的な演奏をする「ロマンティック派」の活躍が目立ったと指摘する。

背景には、ネット上でSPレコードの古い録音が聴けるようになったこと、作曲家の自筆譜が簡単に見られるようになったこと―の二点があるという。「私たちの世代が『やってはいけない』と教わった自由な解釈で、二十世紀初めの巨匠たちが演奏しているのを、今の若いピアニストたちは聴いている。自分で作曲家の意図を調べることもできる。コンクールで評価される演奏が変わっていく、その節目の大会になったのではないか」

第十~十五回大会で連続して入賞者を出した日本だが、この二回は上位に食い込めていない。「今後は、先生に『こう弾きなさい』と言われたから弾くのでなく、責任を持って自分なりの解釈をする能力が必要になる。受動的ではもう世界で戦えない」と、後進たちに助言を送る。

祖父で仏文学者の青柳瑞穂は、井伏鱒二や太宰治ら文士が集った「阿佐ケ谷会」の一員。自身も幼いころから本に親しんで育った。中学時代は同人誌に童話を書いていたが、音楽高校から大学ではピアノ漬けの生活。「欲求不満が高まった」と、フランス留学から帰国後に東京芸大大学院の博士課程でドビュッシーを研究した。吉田秀和賞、講談社エッセイ賞を受賞するなど、演奏と文筆の両輪で活躍する。

今のクラシック界については「内向き」だと強い危機感を抱いている。一般読者に読みやすい文章を心掛けるのも、そのためだ。「沈みゆくタイタニック号の中で『自分は一等船室だ』『三等船室だ』と騒いでいるようなもの。私はそんな人々に『沈むぞー』と、知らせて回る役目だと思っています」(樋口薫)

ショパンコンクール
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