艶を捨てたクリエイター
私事にわたるが、私はこれまでグレン・グールドというピアニストをきらってきた。たまさか耳にしたモーツァルトのCDに嫌気がさし、その後は聴かずぎらいをとおしている。青柳いづみこがとりあげなければ、グールド論の本など、読むこともなかっただろう。
グールドは、バッハのフーガを理知的にとらえた録音で、脚光をあびた。しかし、艶のある音でショパンをうっとりひびかせる腕も、なかったわけではない。初期の音源に耳をすませれば、けっこうロマンティックなグールドとも、であえる。 けっきょく、グールドは、自分のそういった部分を、おし殺していったのだ。あえて、グールドになる途を、えらんだのである。モーツァルトのソナタを異様なテンポでとばしてしまうのも、その必然的な帰結にほかならない。
では、いったいなぜ、ピアニストは、そんな途へ自分をおいこんだのか。著者は、グールドの奏法と、彼のクリエーター気質に注目する。また、そこへ20世紀の演奏史が、どうかかわったのかにも光をあてた。表現へいどむ者をとりまくせつない状況が、あざやかにうつしだされている。
(評価 ★★★★★:これを読まなくては損をする)