深い感受性 香り立つ人間像
「ソリストは多くの聴衆の前で裸で立つ勇気がなければやっていけない」。読みながら、昔、取材で会った著名な演奏家の言葉が通奏低音のように響いていた。
裸だから「物語」の鎧(よろい)が必要になる。どんな曲も暗譜で弾き続けたリヒテル、完璧主義者ミケランジェリ、超絶技巧をわがものとする「自然児」アルゲリッチなど、ここに登場する六人のピアニストたちはみな、天才伝説の持ち主だ。
だが、物語も翳(かげ)りを見せる日がくる。観客は気づかなくても、同業者は見逃さない。自らもピアニストでもある著者は映像や文献、周辺取材を通じ、彼らも裸で舞台に立つ孤独に耐える生身の人間であることを明かしていく。もしかすると、これは恐ろしい禁断の書かもしれない。
アルゲリッチはめったにソロを弾かない。その理由を訊(たず)ねるのは日本のプレスではタブーらしい。だが、著者は思いがけないエピソードをたぐり寄せる。
真っ暗な舞台で蓋を開けたピアノにだけ光が射し込む光景が、ワニが口を開いて待ちかまえているようで怖かったこと。空前絶後の演奏を成し遂げても、観客との一体感を感じたことはまだ一度もないこと。興味深いのは、一人では弾けないのに協演者が演奏を始めると、「うん! 私」となって反射的に弾けるようになることだ。影となる相手がいれば弾ける資質を「心底ソリスト」の証左とみる指摘に思わず膝(ひざ)を打つ。
著者に近しい人々の逸話は、胸苦しくなるほどだ。デュオの相方の死後、「半身をもぎとられた」ように弾けなくなった師バルビゼ。神経障害の噂が広まると仕事が来なくなると、一人痛みに耐えていた友人ハイドシェック。やがて、一九七〇年代の技術偏重主義の犠牲となった演奏家たちの苦悩が浮きぼりになる。
神話の崩壊である。なのに彼らの誇りは挫(くじ)かれず、むしろ人間像に馥郁(ふくいく)たる香りが添えられたようだ。芸術家としての深い感受性と文筆家としての冷静な視線を併せ持つ著者の才質のなせる技か。著者は以前、すでに終わった演奏の批評は購買に影響しないと書いたが、少なくとも私は彼らの音にふれたくなった。