【自著を語る】私にしか書けない魅力
父方の祖父に当たる青柳瑞穂はフランス文学の翻訳をなりわいとしていたが、世間にはむしろ骨董(こっとう)の掘り出し名人として知られた。町の骨董屋で掘り出した尾形光琳唯一の肖像画は、のちに国の重要文化財となった。
その血を受け継いだか、私も演奏家の掘り出しが好きだ。フランス系ユダヤ人ピアニスト、アンリ・バルダの演奏に魅せられたのは二〇〇二年、イタリアの名ピアニスト、ポリーニが主催するプロジェクトのさなかだった。
バルダは一九四一年生まれだから、アルゼンチンの名ピアニスト、アルゲリッチとおない年である。とうの昔に名前が出ていておかしくない実力だが、さまざまな不運が重なり、本人の偏窟(へんくつ)な性格とも相まって甚だしく周知が遅れた。
ポリーニやアルゲリッチは誰にでも書けるが、バルダのことは私にしか書けない、と思ったのが取材の始まりである。以降、本人による度重なる取材拒否にあいながら内外での数少ない演奏の機会を追う日がつづいた。
取材は日本とフランスにとどまらず、エジプトのカイロやオーストリアのウィーンにも及んだ。
バルダはカイロ生まれで、ナセル大統領のスエズ運河封鎖までの十六年間を同地で過ごした。当時のカイロはクラシック有数のマーケットであり、バルダもヨーロッパの古きよき伝統を受け継いだ教師に師事している。
バルダはまた、一九八九年から十年ほど、「ウェストサイド物語」の振付で知られるジェローム・ロビンズのバレエ・ピアニストをつとめ、「イン・ ザ・ナイト」などショパンにもとづく作品を演奏している。二〇一一年には、ウィーンの国立歌劇場で、バルダを迎えてのショパン・ナンバーが再演されたの で、その舞台にも駆けつけた。
バルダのピアノに溢(あふ)れている卓抜な躍動感、何ともいえぬなつかしい香りは、こうした出自と無関係ではあるまい。取材を始めて十余年、彼の 演奏の魅力は少しずつ伝わりはじめてはいるが、このささやかな書がさらに多くの聴き手の足をホールに向かわせるよすがとなれば幸いである。