【書評】「双子座ピアニストは二重人格?」ふらんす 2005年5月号 評・小池昌代 (詩人)

「分裂」が統合する文の世界

青柳いづみこの文章の魅力。それは、例えば老眼になりかけている人が(私もそろそろだけど…)、上等の眼鏡をかけた瞬間、世界が不意にくっきりと立ち上がる、そんな喜び、あるいはまた、一つの物象を映し出していた鏡が、あなたの目の前で、突然に割れたところを想像してみてもよい。鏡のかけら全てに、鋭く多角的に捉えられている像。触れれば指が切れそうな感じだ。それでいてどこか、温もった感じもある。融ければ角を失い、やがて消滅してしまうことを、予め知っている氷の悲しみ、そんなものを、この人の文章は秘めているようだ。

氷といえば元は水。著者は、『水の音楽』という書物を持ち、ピアノは「水に似ている」と書くが、その文章にも、水の動きに似た幻惑がある。極めて主知的で明晰な分析と、それを揺り戻すような豊かな情緒にあふれ、ユーモア、こうした印象を更に推し進めると、本著のタイトル「二重」に象徴される、分裂や矛盾に行き着くことになる。書くことと弾くことという分裂どころではない。詳細を紹介できないのは残念だが、本書を読めば、幼児期から、この人の生活に、あらゆる分裂が仕込まれていることがわかる。

知的障害者の兄について書かれたコラムには、「どうして、知能指数だけあって感覚指数がないのだろう?」とある。読みながら気がつくと、私は泣いていたが、カワイソーと思って泣いたのではない。別の頁で、彼女は作曲家系ピアニストの演奏の面白さを書き、また別の箇所では、あるノイローゼ気味の少女の弾いたドビュッシーの(雪の上の足跡)の演奏が忘れられないといい、「音楽がその瞬間在るか無いかということについて、楽器演奏上の上手下手はあまり関係ないことが多い」と書く。つまり私は、この著書が、ある出来上がった価値のようなものを壊そうとする、その力のようなものに打たれるのである。こういう人は生き難いかもしれない。しかしこういう人が書く文章が生きていないわけがない。

千年にいちどだけ一羽の小鳥がクチバシをとぐためにおとずれるという巨大な岩、その岩がすりへるとき、永遠のただの一日がおわる。――こんな内容のエピグラフが、本書冒頭で紹介されている。著者は、「…ドビュッシーの曲というのは、このエピグラフに書かれているような「永遠」のある任意の断片なのではないか…」と書いている。例えば、こういう指摘は、著者がピアニストだから、書けたわけではない。それ以前の、才質や感受性に発するものだ。しかし同時に、ピアニストでなければ、ここまで深い説得力を持たないかもしれない。

「分裂」は、この人にとって本質的なものであり、そして分裂こそが、青柳さん本人を、統合しているに違いない。

双子座ピアニストは二重人格?—音をつづり、言葉を奏でる
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