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ニュー・アルバム『ミンストレル』・・・いろいろ違ってます。

猛暑の夏、如何お過ごしですか? 世界水泳が終わったと思ったら世界陸上が始まり、昼間は甲子園の高校野球と24時間スポーツ漬けの青柳です。

7月15日から24日まで、CDアルバム『ミンストレル』の編集と室内楽の合わせでパリに滞在していたのだが、彼の地がとんでもなくまた暑く、連日36度まで上がる。パリでは普通のことだが、私が泊まっていたアパルトマンには冷房がなく、しかも目の前で大がかりな工事がおこなわれ、朝の6時(!)からブルドーザーが稼働しはじめる。

暑いので窓をあけて寝ているため、バリバリブギャーン、ガラガラドシャーン、キュイーンヒュルヒュル・・・がもろに聞こえてきて飛び起きてしまう。

いっぽうで、CDを編集するエンジニアさんのお宅はパリ市内から車で2時間半もかかる田舎で、録音テープに耳をすませているとブタさん山羊さんコケコッコさんの鳴き声が・・・。
まぁ、なかなか大変でした。

『ミンストレル』は今秋にフランスのレコード会社コンティニュオ・クラシックスからリリースされるが、日本での発売元はキングインターナショナルである。この間、ネットを検索していたら、タワーレコードのサイトの「ニューリリース」で告知されていた。しかしそれがまぁ、ずいぶん違っているのである。

大見出しは「青柳いづみこ~パリ国立音楽院で収録された最新盤」、小見出しに「18番のドビュッシーほか、近代フランスのヴァイオリン・ソナタを名手ジョヴァネッティと共演した注目盤!」とある。私のデュオの相手の名前はジョヴァニネッティなので、「ニ」が抜けている。

曲目がまた問題。1曲目は『前奏曲集第1巻』の第12曲を作曲者自身が編曲した(実際には、ヴァイオリン奏者がピアノとヴァイオリンのために編曲したものをドビュッシーが手直ししただけらしいが)「ミンストレル」。これは合っているのだが、2曲目の、やはりピアノ曲からの編曲もの「レントより遅く」が抜け落ち、本来3曲目の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』が2曲目、ドビュッシーのスケッチをイギリスの音楽学者オーレッジが補筆・完成させた『セレナーデ』が第3曲になっている。

おまけに、CDジャケット写真に添えられた欧文タイトルが「Minstrers」と綴られている。これは、「Minstrels」のあやまり。

もうひとつのあやまりは、日本語曲目表の「吟遊詩人」という邦文タイトル。昨年刊行した『ドビュッシーとの散歩』を読んでくださった方は、ニヤリとなさるかもしれない。『前奏曲集第1巻』の第12曲にはよくこの邦題がつけられているのだが、「ミンストレル」はアメリカのヴォードヴィルのショーで、白人が顔を黒く塗り、黒人のダンス音楽を演奏した。舞台上で歌ったり踊ったり、滑稽な寸劇を演じたり・・・リュートを片手に宮廷をまわった「吟遊詩人」のようにお上品なものではないのである。私たちの演奏は、この「ヴォードヴィル感」を最大限に活かした解釈で、だからこそアルバムのタイトルにも「ミンストレル」とつけたのだが。

曲目は、上記4曲のほかに、ドビュッシーのパリ音楽院時代の同級生だったガブリエル・ピエルネの『ソナタ』と、フォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』。

キング・インターの求めに応じて書いた帯裏のコメントは以下のとおり。

「イザイ弦楽四重奏団を創設し、自ら第1ヴァイオリンを弾いたクリストフ・ジョヴァニネッティと、文筆家としても知られる青柳いづみこは、共にマルセイユ音楽院に学び、高名なデュオ、フェラス=バルビゼの薫陶を受けた。哀愁あふれるヴァイオリンを明晰なピアノが支え、熟成された香り高いアンサンブルに定評がある。

プログラムは、青柳がライフワークとするドビュッシーのソナタを中心に、ドビュッシーの同級生で2013年に生誕150年を迎えたピエルネ、革命児ドビュッシーを温かく見守ったフォーレの第1番を配し、関連の小品3点を添えている。

作品世界の内奥に迫るドビュッシー、鮮烈な技巧がはじけるピエルネ、親密な語らいが情熱的な高揚を生むフォーレは、いずれも聞き応えのある名演。幻のアメリカ・ツアーのために作曲者が編曲した『ミンストレル』では、ヴォードヴィルの情景が自在に描き出される。レオン・ロケ編曲の『レントより遅く』は、手だれの俳優のような語り口が魅力。ドビュッシーが遺したスケッチを音楽学者オーレッジが補完した『セレナーデ』は世界初録音となる」

クリストフ・ジョヴァニネッティのヴァイオリンをひとことで言うなら、昔なつかしい香りのするオールド・ファッション・スタイル。諏訪内晶子さんや庄司紗矢香さんのような正確無比なテクニシャンではないけれど、コンクール世代がどこかに置き忘れてしまった語りかけてくるようなアプローチが魅力である。ハイフェッツを研究した成果という、独特のしゃがれ声のような発音は、『レントより遅く』やピエルネの『ソナタ』の2楽章にぴったりで、ピアノ部分を弾いていても、思わずうっとりしてしまう。

音楽の形をくずさない範囲内のデフォルメも得意で、『ミンストレル』やドビュッシーの『ソナタ』の2楽章では、思い切ってテンポをゆらし、自由に飛翔する音楽に仕上げている。私一人だったらとてもここまで大胆には弾けなかっただろう。

といっても、単におもしろいだけの底の浅いヴァイオリンではなく、内省的で真摯なアプローチは、ドビュッシーの第1楽章やフォーレの第2楽章で存分に発揮される。

そして、いかもにフランスの奏者らしい優雅で洒脱なセンスも、ピエルネの1楽章やフォーレの3、4楽章でふんだんに味わうことができる。

私はもともとソリストなので、フォーレの1楽章やピエルネの3楽章では率先してぐいぐいひっぱっている。でも、ドビュッシー=オーリッジの『セレナーデ』ではヴァイオリンの下にもぐり込んで、掌の上でころがしている。留学生時代から共演して、ジョヴァニネッティのリズム感やフレージングは熟知しているので、呼吸を合わせて一緒に音楽をつくっていくことができる。これもまた、室内楽の醍醐味だ。

9月18日(水)、20日(金)には、アルバムのリリースを記念して、ジョヴァニネッティとの連続コンサートを開催する。9月20日、浜離宮朝日ホール公演チラシのキャッチには、「モーツァルトとピエルネの親和性」と題してこんなふうに書いた。

「幼いころにピエルネの『昔の歌』を弾いたとき、その『光と影』は、モーツァルトの泣き笑いの世界と重なった。ジョヴァニネッティの哀愁漂う音色とともに、その予感を実現する希有な機会が与えられたことが嬉しい」

前半に置いたモーツァルトの2つのソナタは、売り物のフランス音楽ではないが、実は今、自分たちが一番弾きたい演目なのである。ジョヴァニネッティのしなやかなヴァイオリンは、モーツァルトの心のひだをすみずみまで描き出してくれる。古典の様式感もよくおさえられていて、堅固な構成の中で自由にふるまうあたりのバランス感覚も抜群だ。

私も、もともとモーツァルトが大好きなので、なんだか学生時代に戻ったような新鮮な気持ちで弾いている。3年前、札幌でシューベルトを弾いたとき、どこかの批評で「大人の青春」と評されていたが、そのまま私たちのモーツァルトにも当てはまる。

後半は、ドビュッシーのパリ音楽院時代の同級生で、コンセール・コロンヌの指揮者としてドビュッシー作品の演奏で定評のあったピエルネ作品で開始する。

ソロで弾く『子供のためのアルバム』の第5曲「昔の歌」は、最初の発表会で先生からいただいた曲だ。ヘ短調がベースなのだが、最後にテーマが回想されるところで、一瞬ふっとヘ長調になる。その転調が印象的で、子供ごころに「モーツァルトそっくり」と思ったものだ。ちょうど練習していた『ソナタ第10番K330』の第2楽章のトリオが、やはりヘ短調で開始してヘ長調で終わるからだ。

子供の直感が間違っていなかったことは、つい先日判明した。CDアルバム「ミンストレル」の日本発売元であるキング・インターの担当さんが、モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番K488』のカデンツァをピエルネが書いている、という情報を教えてくださったのだ。早速楽譜を取り寄せて弾いてみた。大好きな協奏曲なので嬉しかった。

私たちがデュオで弾くモーツァルト『ソナタ第40番K454』の第2楽章には、これが古典音楽かと思うような、よく戻ってこれたなぁと感心するような大胆な転調がある。そして、ピエルネの『ヴァイオリン・ソナタ』にも、近代音楽だから当たり前かもしれないが、至るところに耳がびっくり仰天するような転調がちりばめられていて、きっとモーツァルトを手本に書いたにちがいないと、ますます親和性に確信をもった。

浜離宮でのコンサート、最後の演目はCDにも収録したドビュッシー『ヴァイオリン・ソナタ』。1917年作。次の年に亡くなった作曲家の白鳥の歌である。

ジョヴァニネッティは、1984年にイザイ弦楽四重奏団を創設、自ら第1ヴァイオリンをつとめて、95年に退団するまで数々の名録音を遺した。デッカから出したドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲はその白眉で、なかでもドビュッシーの『弦楽四重奏曲』は、堅固な様式感にラテンの情熱をこめた名演で、今聴いてもほれぼれする。いずれドビュッシーの『ソナタ』を録音するとしたら、ヴァイオリンはジョヴァニネッティ以外考えられないと思っていたので、コンティニュオ・クラシックスからのオファーは嬉しかった。彼方から聞こえてくるような音色で、「死の待合室」の境地を奏出しつつ、ドビュッシー自身がエドガー・ポーの短編「天の邪鬼」にたとえた「絶望のさなかの歓喜」を見事に表現する。

ドビュッシーのソナタに関するかぎり、ここまで深くはいりこんだ解釈は、私たちにしかできないはずだ。そんな自負をこめて演奏するつもりである。

                  *  *  *

 至福のデュオ 青柳いづみこ + クリストフ・ジョヴァニネッティ
  9月18日(水)19:00 白寿ホール
  9月20日(金)19:00 浜離宮朝日ホール
 CDアルバム「ミンストレル」(コンティニュオ・クラシックス) 

投稿日:2013年8月17日

2013年に寄せて

新メルド日記の読者の皆さん、明けましておめでとうございます。
といっても、もうほとんど1月たってしまったけれど。

2012年9月21日、28日の浜離宮朝日ホールでの『黒猫』コンサートにいらしてくださった方々、ありがとうございました。おかげさまで大盛況のうちに無事終了、2回の打ち上げもわいわい楽しかった。これについては、『週刊現代』の聞き書き「会う食べる飲む、また楽しからずや」で語っている(最近は依頼原稿で近況を書いてしまうので、HPの更新がどうも遅れがちになります。反省)。

10月6日は大阪音大でレッスンしてから倉敷に行き、大原美術館で岡田博美さんのギャラリーコンサートを聴き、『音楽の友』にレポートを書かせていただいた。モネやゴーギャン、ルノワールなど泰西名画をバックに聴くバッハやドビュッシー、とりわけ、当美術館で初演された矢代秋雄『ピアノ・ソナタ』は格別だった。

翌7日は町田のスガナミ楽器で『ドビュッシーとの散歩』刊行記念の講座と公開レッスン。2時間の講座と2時間のレッスンで、たっぷりドビュッシーについて語った。

10月8日からは室内楽の合わせでパリ。今年3月にアンテグラルでのレコーディングが決まっているので、その打ち合わせも兼ねていた。やはりアンテグラルでCDを出しているエリック・ハイドシェックのプロモーション・ヴィデオにも、エリックとの対談でちょこっと出演した。といっても、ほとんどエリックがしゃべっていたけれど。

19日に帰国。翌日は鹿児島に飛び、日本ピアノ教育連盟のドビュッシー講座。東郷音楽学院の先生方と生徒さんが熱心に勉強してくださった。
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21日から26日までは連日、ピアノ教育連盟とカワイ楽器主催の『ドビュッシー・フェスティヴァル2012』に出演するために表参道のパウゼ通い。私は夜のコンサートのテーマ別選曲(あとでいろいろな演目が加わって、あんまり選曲の意味がなくなった)とテーマに沿ったプレトークを担当し、ついでに『スコットランド行進曲』『6つの古代碑銘』を指揮者・ピアニストの田部井剛氏と連弾し、『古代碑銘』ではテキストも朗読し、ソロでは『前奏曲集第2巻』全12曲を弾くという大役。

まぁ、この間のことはあまりに大変だったので思い出したくもない。主催者からきいたところによれば、アンケートでは演奏もプレトークも好評だったそうです。

11月3日は、出演者の人選を担当している大田黒記念館でのコンサート。今年は作曲家・ピアニストの高橋悠治さんをお招きして、大田黒元雄旧蔵のスタインウェイを弾いていただいた。曲目は、モーツアルト「ロンド イ短調」、シリル・スコット 『ジャングルブックの印象』より「夜明け」、『エジプト』より「エジプトの舟歌」、プロコフィエフ『束の間の幻影』全曲、モンポウ『沈黙の音楽』より数曲と、高橋悠治さん自作の『家具連句』。最後は戸島美喜夫『鳥のうた』。

シリル・スコットは大田黒さんが1915年に弾いているので、私からのリクエスト。プロコフィエフは悠治さんの選曲で、アメリカに亡命する途中で来日したときに演奏した作品だという。大田黒さんは、まだ無名のプロコフィエフを自宅に招いて手厚くもてなした。もしかすると、プロコフィエフもこのピアノを弾いたかもしれない。

悠治さんの実演は初めて聴くのだが、音楽の骨格をしっかりとらえた(というより、体の中にはいっている感じ)上での自在さ--曲想もそうだし、リズムもテンポも--がすごかった。夜は、横浜市招待国際ピアノ演奏会で若いピアニストたちの演奏を聴いたが、ある意味では、彼らが一生かかってもこの半分も行かないだろうと思った。その境地になると、達者に弾くなどというのは大したことではなくなるのである。

11月14日からは第8回浜松国際コンクールのオブザーバーでアクトシティ入り。審査院長の海老彰子さんからのご依頼ということでお受けしたのだが、仕事としては第3次予選から聴いて感想をコメントをしてほしいということ。私は、コンクールというのは早い段階から聴かないと何もわからないと思っているので、本当は第1次予選から聴きたかったのだが、スケジュール的に無理。間をとって第2次予選からの観戦となった。

24日の入賞者発表まで、途中で仕事のため東京に帰ったが、ほぼ10日間、若いコンステタントの熱演を聴き、夜は音楽ライターや評論家、音楽雑誌の編集者、コンクール・ゴアーの皆さんと会食したりで楽しかった。『我が偏愛のピアニスト』で対談させていただいた練木繁夫さんも審査員で、エレベーターでばったり会ったので軽く飲みに行っていろいろお話を伺った。

浜コンは前回まではどちらかというと若いピアニストを発掘するコンクールで、十代の入賞者が多かったのだが、今回は応募年齢を引き上げ、第3次予選でモーツァルトの『ピアノ五重奏曲』を課して、より音楽的な成熟を計ったという。とにかく、どんなにむずかしい課題を出しても差がつかないほどレヴェルが上がっているので、室内楽はまったく別の観点から見るためのよいアイディアだと思った。

浜コンは、毎回日本の作曲家に新曲の作曲を依頼しているのだが、今回は池辺晋一郎さんの『ゆさぶれ 青い梢を ピアノのために』。第2次予選を聴きにいらした池辺さんご夫妻に声をかけていただいて、やはり作曲家の一柳慧さんと最上階のレストランでお食事をご一緒した。池辺さんには、日中文化交流協会で北京と上海、内モンゴルのフフホトにご一緒して以来、『ピアニストは指先で考える』文庫本の解説を書いていただいたり、大変お世話になっている。浜コンの顧問をつとめる一柳慧さんとも、大阪のABC新人オーディションの審査でご一緒している。

浜コンについては『ショパン』から依頼されて講評を書いたが、個人的にはイギリスのコンテスタント、アシュレイ・フリップが本選にすすめなかったので、ちょっとがっかりした。せっかく音楽的成熟をめざして室内楽を導入したのに・・・。入賞者発表後の記者会見で、何人かの審査員も同じような感想をいだいていたことが、何となくわかったが、これがコンクールというものだろう。

10日間もの間東京を離れると、仕事に支障をきたす。主催者が用意してくれたアクトシティホテルの一室にPCと音・映像・文字資料を持ち込み、コンクール観戦の合間に単行本や連載、単発原稿の執筆にもいそしんだ。

浜コン期間中の11月21日には、NHK文化センター町田教室で『グレン・グールド 未来のピアニスト』をテーマにした講座もあった。2012年は、グールドの生誕80年と没後20年が重なった年でもあるのだ。

グールドの少年時代の録音や、デビュー前にベートーヴェンの『協奏曲第1番』を弾いている映像などをご紹介した。大入り満員で、改めてグールドの人気の高さを思った。12月1日にも京都の烏丸教室で同テーマの講座。こちらも大入り満員。終了後、京都芸術文化センターの館長さん、富永先生と会食した。

12月22日は、名古屋の宗次ホールで大谷康子さんとのデュオ・コンサート。ドビュッシー生誕150年記念最後のイベントである。

「演奏とトークでつづるドビュッシーの生涯」というタイトルで、初期の『美しい夜』や『夢』『アラベスク』、中期の『月の光』や『牧神の午後への前奏曲』(ハイフェッツ編)、そして晩年の前奏曲『水の精』『カノープ』、『ヴァイオリン・ソナタ』を演奏する。

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2012年最初のミューザ川崎でも同様のプログラムでご一緒したが、大谷さんはとても暖かいお人柄で、ドビュッシーをやさしく包み込むような演奏をなさる。ときどきぐわっと情熱的に盛り上げてくださるので、それに乗っていくととても楽しい。クリスマス近くだったので、最後はクリスマス・ソングのメドレーで賑やかに終えた。

さすがに疲れが出たのか、クリスマスを過ぎるころから膀胱炎を発症し、26日のベーテン・ピアノコンクールの審査は辛かった。朝早くから夕方遅くまで、1時間おきに10分の休みを入れただけで審査がつづく。休みごとにトイレに駆け込んでいたので、変に思われたかもしれない。

私が住んでいる町の阿佐ヶ谷には、ひ尿器科の病院は一軒しかない。電話をすると、年内はあと2日で終了なので、受診は大変だと言われた。まず朝の8時半までに行って早い順番をとる。診察券をつくってもらったあと、9時半までは病院内で待機する。そのころになるとその日の診療予定がわかるので、だいたいの時間を教えてもらっていったん帰宅する。受診30分前に携帯に電話がかかってくる・・・という流れ。私はまだ自宅から近いからよいけれど、一日あいている日じゃないととてもじゃないが受診できませんね。

ようやく診察していただき、劇的に効くという抗生物質を処方された。ただ、例外的に効かない人もいるので、もし朝起きても効果が感じられなかったら、もう一度予約をとりにくるようにとのことだった。そして、翌朝になっても症状に変わりがなかったので、また8時半に病院に行って診察時間を聞き・・・・という作業をくり返したのだ。幸いなことにこちらの抗生物質はよく効いて、年が変わることには症状は消えていた。

新年は1月10日に大阪府立夕陽ケ丘高校で一時間の講座。関西の音楽高校では名門だという。主催者側の要望で「弾いて書くキャリア」についてお話した。夜は、大阪音大の学生さんたちと新年会。いつもは忘年会をやるのだが、12月最後のレッスンのあとに名古屋のコンサートがはいっていたので、パス。2012年度の私のクラスは例外的に人数が多く、総勢17人。1年生のピアノコースが1名。演奏家特別コースが1名。2年、3年の演奏家コースが1名ずつ。3年生の特殊研究が2名。4年生の演奏家コースが2名。特殊研究が3名。大学院の1年生が3名。2年生が3名。ふー。私は年に15回しか音大に行かないので、時間割を組む事務の方が四苦八苦していた。

12日、13日は神戸国際コンクールの審査。音大生を含む一般の部は守りにはいった演奏ばかりであまり面白くなかったが、小学生-高校生部門は自分の世界観を持っているというか、個性的な演奏がつづいて、審査するほうも楽しかった。どうして音大にはいると詰まらないピアノになるのだろう。

いったん帰京したあと、16日にまたトンボ返り、大阪音大大学院の修士演奏と論文の審査である。演奏は40分。論文提出が1週間前なので、練習と執筆、どちらかにかかりきりだと、どちらかが手薄になる。これは、私にとっても永遠のジレンマである。

最後に、2013年の予定を少し。
先にも少し書いたが、3月にはパリでヴァイオリンのクリストフ・ジョヴァニネッティとのレコーディングが予定されている。曲目は、フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第1番』、ピエルネとドビュッシーの『ヴァイオリン・ソナタ』。

9月20日には浜離宮朝日ホールでお披露目のコンサートも予定している。

4月20日には、『ドビュッシーとの散歩』を題材にNHK文化センター京都(12:30~14:00)と名古屋(17:00~18:30)で講座がはいっている。

5月(3~5日、日程未定)には、ラ・フォルジュルネ音楽祭(東京)にも出演予定。昨年、ドビュッシー生誕150年記念をテーマに選ばなかった同音楽祭だが、今年は罪滅ぼしに「パリ、至福の時」がテーマなのだとか。私はドビュッシーとスペインのかかわりに焦点を当て、2台ピアノで『白と黒で』『リンダラハ』、ソロで『グラナダの夕』ほかを演奏します。

5月26日には、好評だった『黒猫』コンサートの大阪版が、大阪大学会館ユニヴァーシティ・ホールで開かれる(15時開演)。バリトンは、東京公演にも出演してくださった根岸一郎さん。ソプラノの松井るみさんにもドビュッシーの若き日の歌曲を歌っていただく(彼女は、松井大阪府知事のお嬢さんで、現在神戸女学院大学院の声楽科在学中)。 

JMLセミナーで月一回開いている「フランス音楽専門講座」も2013年で20周年を迎える。これを記念して、受講生によるマラソン・コンサートも企画している。若いピアニストの卵からピアノの先生、趣味の方まで幅広い顔ぶれで、レッスンのたびにいろいろな発見がある。タイトルは「音の美食家たち」。もちろん、私も弾きます。

本は、現在執筆中の『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』が白水社から刊行予定。たぶん、バルダがベートーヴェンの協奏曲を弾く9月に合わせての発売になるだろう。ジョヴァニネッティとのCDリリースも同じ時期だから、また編集と校正の二重苦になる。

岩波書店『図書』で連載中の「どこまでがドビュッシー?」も佳境にはいっている。ドビュッシー未完作品の補筆からだんだん発展して、話題はショパンから演奏解釈論まで・・・拡大の一途をたどっている。こちらもある程度枚数がそろったところで単行本化されるだろう。

そしてもう一冊。2013年はなんと、この「メルド日記」が単行本になります! こちらは『ショパンに飽きたら、ミステリー』の文庫を出してくれた東京創元社。

先日、プリントアウトしたものに赤字を入れて返したのだが、2002年に朝日新聞の書評委員に就任してから、2009年に『6本指のゴルトベルク』で講談社エッセイ賞をいたたくまでの期間だから、ヴァラエティに富んでいて、自分で読んでもなかなかおもしろい。といっても、分量がものすごく多く、400字詰め原稿用紙1000枚を越えてしまうので、いったいどうなることやら。

そんなわけで、2013年も「弾いて書いて」の私の活動をお見守りください!

投稿日:2013年2月1日

オンディーヌの呪い ふたたび

新譜CD『ドビュッシーの神秘』(カメラータ)は、8月25日にいったんリリースされたが、マスターテープの一部に不具合が見つかったため回収。再リリースは9月5日に予定されている。

不具合は9曲め「水の精(オンディーヌ)」の開始29秒ぐらいの箇所で、一瞬、電源が切れたようにしゅっと無音になり、またすぐに戻る。耳をすませていないとわからないほどの微細な「音の消失」だ。私が最終バージョンを聴いたときは何も問題なかったが、その後、マスタリングする際に「何か」が起きたらしい。最終バージョンの確認と同時に校了になったため、その後の作業はカメラータに一任していた。

リリース前日の24日、『ぴあクラシック』に新譜紹介記事を書く担当の方から連絡があり、メディア用の見本盤を聴いたところ音が消える部分があるという知らせだった。最初はペダリングの妙による急激な減衰かとも思ったが、スコアを見ながら聴いてようやく消音を確認したとのこと。

こうした場合、レコード会社から販売店に回収を依頼し、一般ユーザーにはネットで交換の案内をするのが普通だという。おりしも、カメラータのスタッフは草津音楽祭の真っ最中。携帯に留守電を入れ、翌朝やっとプロデューサーと連絡がついた。その日のうちにエンジニアがマスターテープを手直しし、月曜日には工場に入れた。

くだんの「消音」箇所は編集したところではなく、演奏したのをそのまま録音しているだけだからエンジニアさんはキツネにつままれたおももちだったそうだ。

私がとっさに思ったのは、「オンディーヌの呪い、ふたたび」。実は、2001年にリリースした『水の音楽 オンディーヌとメリザンド』でもマスタータープで同様の、もっと深刻なトラブルが起きていたのである。

このときは、立ち会い編集を終え、マスタリングしたあと、『レコード芸術』誌の編集部からダットに落としたものを求められた。インタビューと紹介記事のために必要なのだという。早速、手配してもらった。

翌日編集部から、どうも変だと電話がかかってきた。曲目表では11曲収録されていることになっているのに、インデックスが10本しか立っていないのだという。私のところにはダットを聴く装置がないのでCD-Rの形で送ってもらい、聴いてみた。すると、録音したはずのショパン『バラード第3番』が影も形もないのだ! それだけではない、リスト『波を渡る聖フランシスコ』の一部でオクターヴの音が重なっているように聞こえる部分がある。

びっくりたまげて、すぐにディレクターに連絡した。
これが、一回めの「オンディーヌの呪い」、別名コンピューター・ミスである。

どうも、何かの手違いで、11曲あるのに、インデックスを10本しか立てなかったらしい。それで、コンピューターが勘違いして、中の一曲をとばしてしまった・・・。

稀に起こることです、とディレクターさんに言われた。音がダブっているほうは編集ミスということだったが、私が最終バージョンを確認したときは、断じてどこもダブったりしていなかったのである。そのあと、マスタリングのときか、ダットに落とした段階か、とにかくどこかで「何か」が起きたのだ。

『水の音楽』のときは『レコード芸術』編集部がインデックスの本数に気づいてくれたのでことなきを得たが、今回はリリース前日まで発見されなかったので、すでに購入した方もいらっしゃるかもしれない。

それにしても、どうして、よりによって「オンディーヌ」なのだろう。

曲のイメージ源は、ドイツ・ロマン派の詩人ド・ラ・モット・フケーの『ウンディーネ』である。人間の男と結婚した水の精が、男の裏切りにあって水の底に姿を消す。元夫の結婚式の日、噴水となってあらわれたウンディーネは、不実な男に死の接吻を与える。

音の消失は、ちょうど細かいアルペッジョが噴水のように吹き上げる部分に当たる。

消えたオンディーヌの謎。まさに、「神秘なCD」になった。

投稿日:2012年9月2日

新メルド日記

MERDEとは?

「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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