新春1月6日、いにしえの渋谷公会堂(現在はおしゃれにCCレモンとなっている)にジュリーこと沢田研二さんのライヴを聴きに行ってきた。
紹介してくださったのは、ミュージックペンクラブ事務局長のマイク越谷さん。
以前に『サライ』に『ジャパニーズロック・インタビュー集』の書評を書かせていただいたのがご縁で、渋谷のタワレコで開かれた新譜CD&新刊宣伝イベントの司会をしてくださったり、
ロック関係者の飲み会に混ぜていただいたり、楽しい異文化コミュニケーションがつづいている。
GSはちょっとお兄さんたちという感じだから、中学のころからよく聴いていた。
それだけではない、思わぬ接点もあった。
芸大の附属高校に入学するとき、打楽器ですごいハンサムな男の子がはいってくるという噂が立った。女子学生一同楽しみにしていたところ、クラス(芸大の附属高校は全校生徒120名、一学年一クラスでたったの40名)の打楽器はたった一人で、残念ながら全然ハンサムではなかった(打楽器の腕前はすごくて、今もバリバリの現役で活躍している)。
我々が「たいこのおじちゃま」と呼んでいたその同級生に「どうしてぇ?」ときいてみたら、ハンサム君は受験するにはしたが落ちたんだそうだ。
「あいつ、一つ打ちもできなかったんだぜ」とは「たいこのおじちゃま」の言。
「一つ打ち」ってそんなに基本的なことなんだろうか。
女子としては、一つ打ちができようができなかろうが、とりあえず男子が少ないクラスにハンサム君がはいってくれたほうがよかったのだが。
それから一年後、ハンサム君はワイルドワンズの一番若いメンバーとしてキーボードとフルートを担当し、甘いマスクとさらさらヘアで一躍人気者になった。
今経歴を見ると、どうも音楽一家に生まれてお母さまがピアノ教師。桐朋の音楽高校に通ったらしい。桐朋は「一つ打ち」ができなくてもはいれたんだろうか、それとも別の課を受験したんだろうか。
私は過激なのが好きなので、GSもアイ高野がスティックを突き出しながら「お前のすべてを!」と絶叫するカーナビーツとか、失神さわぎで有名になった赤松愛のオックスとかが気になっていたから、とくにタイガースファンではなかった。
でも、1971年に解散し、ソロになってからのジュリーは「ザ・ベストテン」の常連だったから毎回見ていたし、歌もよくおぼえている。「勝手にしやがれ」「アマポーラ」「TOKIO」。
上を向いてちょっとしゃがれた声をしぼり出すようにして歌う姿は印象的で、あんまり理にかなった歌い方ではないけれど、喉は強いんだろうなと思った。
30何年ぶりかで見たジュリーは、往年の美青年の面影はあんまりなかった。冒頭に歌った「いくつかの場面」で最高音のラが割れてしまったのにもびっくりした。クラシックの歌手のようにポジション・チェンジしないでそのまま高音に持っていくので、調子が悪いと上がりきらないのだろう。
「風に押されぼくは」のあとのMCの声もずいぶんかすれていたから、お正月で酒を飲みすぎたのかもしれない。しかしナンバーがすすむにつれ、独特の艶のある声が蘇っていった。
2011年の正月LIVEは、『Ballad and Rock’n Roll』というタイトル。
前半はずっとしっとりしたバラードで、正直ちょっと退屈してしまった。
私は松田聖子のファンなのだが、彼女のように、甘えたりすねたり誘ったり、メロディのちょっとした抑揚でニュアンスを変化させるようなテクニックは使わない。
わりとまったりした歌い方で、いつも同じ表情なのだ。美空ひばりとまでははいかないにしても、もう少し細かい声のコントロールがあるといいな、と、ないものねだりをする。
ジュリーという愛称は、ジュリーが好きだったジュリー・アンドリュースからきているらしい。
それこそ、コントロール抜群で七色の声をもつと言われた名歌手だ。
立っているだけで女性をとりこにしてしまう(った?)ジュリーは、きっと落としどころを計算しなくてもファンが夢中になってしまうのだろう。
ジュリーが甘い歌詞を甘い歌声に乗せるだけでめろめろになってしまうのだろう。だから心のひだを表現するような歌唱テクニックは磨く必要がなかったのかな、などと考えていた。
しかし、アップテンポの「ミネラル・ランチ」はさすがだった。
メロディが全部係留でつながり、拍子とずれて進行する。このあとノリが抜群にうまい。
ちょっとはすにかまえたような、不良っぽいジュリーの雰囲気によくはまる。
人気歌手のライヴというと全員総立ちで踊りまくるという印象があるが、この日の客席はそこまでではなかった。バラードのときから一部のお客さんは立ち上がって両手を上にあげ、リズムをとって楽しそうに身体を動かしていたけれど、我々の座った中ブロックの関係者席ではそんなことはないし、前ブロックで立っているお客さんの頭ごしに何とかステージを見ていることができた。
ジュリーの正月ライヴは3日間チケット完売。
渋谷公会堂、もといCCレモンのキャパは2300人ぐらいだそうだから、東京だけでも7000人弱のファンがかけつけたことになる。さすが国民的歌手。
客層は中高年が多く、若い女性も地味めのファッションが多い。
チケット料金も7000円とリーズナブルで、アットホームないい感じだ。
ジュリーは一曲歌い終わると腕を上にあげ、左横に向かってありがとう! と言い、つぎに正面に向かってサンキュー! と言い、最後に右横に向かってありがと! と言う。3ツ目の会釈を合図にお客さんは拍手をやめ、次の楽曲に移る。
前半のナンバーが終了すると休憩なのだが、なんとたったの15分。これではトイレが大変だろう。
女性たちは走るようにして出ていく。とにかく寒い日だったし。
突然、会場内のお客さんから拍手が起きた。
見ると、関係者席の中央付近に座っていた男性が会釈している。
ご一緒したペンクラブの方が「瞳みのるさんですよ」と教えてくださった。「?」。
家に帰ってネットを調べて合点がいった。ドラマーの「ピー」のことなんだ。
我々の世代はタイガースのメンバーはすべて愛称で呼んでいたから、突然「瞳みのる」と言われてもピンとこない。タイガース解散後高校の夜間に通い、大学卒業後は高校の先生をつとめていたとのこと。
このときは、「タロー」こと森本太郎、「サリー」こと岸部修三(現岸部一徳。水谷豊主演の『相棒』でいい味出している)も来ていたらしい。
「トッポ」こと加橋かつみの退団で「シロー」こと岸部シローがはいってきたんだな。
そのころのことは何となくおぼえている。
とにかくタイガース=かっこいいというイメージがあったら、ちょっとテイストの違ったシローの出現にちょっととまどい、無理矢理「わりとかわいい」と思い込もうとした記憶が(笑)。
そのシローは『西遊記』の沙悟浄役で大当たり、日テレの「ルックルックこんにちわ」の司会をしたりしていたが、浪費癖がたたって破産したり病気したりいろいろ大変で、でもとぼけたキャラで今も人気がある(らしい)。
後半のステージはのりのりのロック調。
お客さんはほぼ総立ちになったが、私たちの席の前の方々は立っていなかったし、間にミキシングブース(正しい?)があるので、ステージはかろうじて見ることができる。よって立たなかった。
ここで感心したのは、お客さんの手拍子。
歌いはじめにジュリーが模範の手拍子を打つと、一斉にバックビートで手拍子が始まるのだが、歌の各シーンによって打ち方が変わる。
歌詞によっては、手を上に突き上げるなど、ファンの教育が行き届いている感じだ。
プログラムによれば、この日のナンバーは「オープニング曲、アンコール曲以外は、ここ10年余りの近作アルバムと、昨年発売の新作からの選曲です」とのこと。
私が知っている曲は一曲もはいっていないが、ファンの耳には折り込みずみなのだろう。
でも、人気歌手のライヴというのは、普通はもっと古い歌もまぜるものではないだろうか。
ジュリーは過去と決別したいんだろうか。それとも?
プログラムに作曲者、作詞者の明記がないのも不思議だった。
演歌なら、この間亡くなった星野哲郎さんの詞とか、古賀政男メロディとか、松田聖子だって、一連の松本隆作詞とか、聖子自身の作詞とか、下手すると歌手より作り手のほうが先に立つし。
あとでネットを見たら楽曲にはジュリーが作詞したものもはいっていたようだが、会場ではどれがどれだかわからない。
テキストにこめたジュリーのメッセージとか、ジュリーは何に向かっているのだろうとか、同世代への応援歌なのか、若者を鼓舞する歌なのか、ジュリー自身のマインドがまだ若者なのか、ちょっと焦点をさだめにくい感じだった。
そんな中、私が注目したのは、紅一点のドラマー、Graceさん。
金髪のさらさらストレートをなびかせ、かわいらしい顔をゆがめて、唇をつきだし、全身をバウンドさせて叩きまくる。とことん音楽にのめり込んでいる感じで、爽快。
こういうときアーティストの身体中をかけめぐっている快感って、どんなに大きいんだろうと思う。
ジュリーの歌が終わり、観客の拍手が3つの会釈で途切れた瞬間、バーン! と次のビートを入れるのが、Graceさんの役目だ。このときだけはホールの時間を自分が仕切っている感。
これは、やったことがある人じゃないとわからないだろうと思うし、きっとやみつきになるんだろうな。
本当に今の、この瞬間を疾走しているという心地よさが客席にも伝わってきて、個別に紹介されたときは思いきり拍手してしまった。
なんだかんだ言っていても、あんまり鍛えられていないっぽい身体でステージ上を駆けめぐり、息も切らさずに次々と激しいナンバーを歌いまくるジュリーは迫力満点だったのである。
大阪城公園に松田聖子のライヴを聴きに行ったときは、走ったあとのトークでぜいぜい言っていたもの。
あと、聖子のライヴではPAがきつくて、クラシック仕様の私の耳には過酷な騒音。
半分で早々に引き上げてきてしまったのだけれど、ジュリーのPAはちょうどよい加減で、全然耳に辛くなかったし、歌詞もはっきりと聞き取れた。この点はとてもよかった。
そして、アンコール、やっと知っている歌が出てきた!「時の過ぎゆくままに」。
ここでびっくりしたのは、前半のバラードで不満だった声のコントロールが見事にできていることだった。
流行歌手時代はよくも悪くも商品だから、作詞家や作曲家やヴォイストレーナーがついてレッスンしたんだろうか。歌謡界にうとい私にはわからないけれど、とにかく落としどころをきちんと計算した歌だった。そして、その成果が今も持続している。
あっ、そうなんだ、とちょっと拍子抜けした。
同時に、ここまで歌ってきて、やっぱり「時の過ぎゆくままに」がよかったですねと言われたら、ジュリーは複雑な気持ちなんだろうなとも思った。
あまりに立ち位置が違うので比較にならないかもしれないが、似たようなことは、クラシックの演奏家にも起きる。デビュー前はいろいろな先生にレッスンしてもらいながら、解釈や奏法を練りこんでいく。
自分がやりたい曲と違うものを薦められることもあるし、やりたい方向と違う解釈を指示されることもあるが、とにかく世に出たいから我慢して折り合いをつける。そのせめぎあいからよいものが生まれることも多い。
オーディションやコンクールで弾きながら、お客さんや審査員の反応を窺う。
自分のことをまったく知らない聞き手を感動させなければならないのだから、必死だ。
こうして、「売り物」ができる。
めでたく「売り物」ができてデビューを果たし、ファンがついてくると、もうレッスンには行かず、自分で作品を選んで自分で勉強するようになる。
独自のものを深めるにはよい方法だが、客観性が失われる危険性もある。
ある程度演奏活動が軌道に乗ってくると、デビューに向けてつくられた「売り物」イメージにはあきあきしているから、新たなレパートリーを開拓する。「売り物」でも、異なった解釈で弾いてみる。
いろいろやってみるのだが、結局、客観的な目で鍛えられたものにはかなわないのだ。
多くの演奏家は、こんなジレンマをかかえながら活動をつづけている。
このあたりは、歌謡曲・ポップスでもクラシックでも変わりないのかもしれない。
そして、浮き沈みの激しい芸能界で息の長い活動をつづけ、昔ながらのファンだけではなく、新たなファン層を獲得しているアーティストは、やっぱりすごい。
考えてみれば、あれだけたくさんいたGSのメンバーで、本格的に歌手やっているのはジュリーだけなんだよなぁ。
そんなこんな、いろいろなことを考えながら、ジュリーのライヴを聴いて(見て)いた。