【書評】「ピアニストが見たピアニスト(文庫)」日経新聞 2010年6月2日 評・飛浩隆(作家)

私の読書日記 名手の技巧と苦しみ

少し前に、ネットオークションで中古の外国産CDプレーヤーを手に入れた。一聴してその音の良さ、いや「音楽の良さ」に驚愕した。耳慣れたCDから、聴き逃していた抑揚や音色の変化、「奏者の肉体」のエネルギーとデリカシーがぐいぐい聴こえてくるのに圧倒されながら、音楽とは、最後には人のからだに行き着くという当たり前のことを思い知らされた。

そして連想したのが、青柳いづみこ氏の名著『ピアニストが見たピアニスト』(中公文庫)だ。世界の大ピアニストについて、やはり現役のピアニストである著者が、文献や録音、証言、実演や対面の記憶を駆使して論じた本である。

ピアノ演奏に精通した著者は、達意の文章をあやつって名ピアニストの技巧と音楽を見事に描き出すが、それ以上に胸に迫るのは、心の不調、耳や腕の障害におびえ苦しみ演奏家の姿だ。

かれらは金メダル級アスリートに匹敵する極限の身体能力と音楽知性でリサイタルに臨む。そこには極限ゆえの危うさ、もろさがつきまとう。

音楽を担うのは人の身体。そこには強さと壊れやすさが同居する。冒頭のプレイヤーのメーカーには、それを思い描けるイマジネーションがあったのだろう。

それはすなわち、演奏家と聴き手に敬意を払うことにほかならない。

ピアニストが見たピアニスト—名演奏家の秘密とは(文庫)
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