【書評】「高橋悠治という怪物」(図書新聞2018年12月8日 評・中山弘明)

戦後のアートと政治空間へと開く一つの導きの糸

高橋悠治は一九六八年をいかにくぐり抜けたか

「高橋悠治伝説」といったものがある。著者はその下限年齢を「三〇代後半」としている。村上龍が語る、高橋が弾く武満徹『アステリズム』の凄絶なクレッシェンドの「神話」などもその代表格と言えようか。私も幾度かコンサート会場のロビーに佇み、どこかものうげに「あさっての方をにらみながらしゃべる」高橋の姿を、「神秘的」な思いでみかけたものだ。本書に出てくるL・バーンスタインの交響曲『不安の時代』の日本初演。一九七〇年一月一六日に関わる貴重な思い出を、退職した元同僚から聞いた。指揮は小澤征爾、ピアノは当の高橋である。当時、日本フィルの練習場は市ヶ谷河田町、旧フジテレビ入口で、知人が日本フィルの事務長だった関係で、そのリハと本番に立ち会うことが出来たという。「本番前の待ち時間に暗い客席でひっそりと読書している」高橋の姿を鮮明に記憶し語ってくれた同僚は、私に彼の著書『ことばをもって音がたちきれ』を残して退職していった。本書で、七〇年代前半、藝大に学ぶ著者が、「持っているだけでかっこいいという雰囲気があった」本として名を挙げているものである。そんな本がかつてはあった。

そのような「伝説」の内実を、本書は実に精緻に分析していく。今一人の神秘的ピアニスト「グレン・グールド」との対比。六〇年代、「草月アートセンター」を中心とした「前衛」の時空間。ここで彼は、ピアニストを脱皮して作曲家としての道を歩み始める。さらにこうした実験の時代を離れ、彼が政治的に転回し、西洋人の楽器の使い方への懐疑から水牛楽団を結成していく七〇年代。彼はこの時代、三里塚へも向かう。そしてさながら音楽史を遡行するように、音という素材へのこだわりから、あるいはその「間」や「揺れ」から、音楽家として、いや人間として「孤立」してあることを追求する過程。さらには、「連弾」「共演」という共に演奏する悦びへと歩をすすめていくまで。本書になまかの音楽書とは異なる「力」を与えているのは、何よりもその実証性」ではないだろうか。著者は、けして髙橋本人との私的な関わりに依存して各ことをしない。それは「人の記憶には限界があるから、具体的な事実をおさえておかなければならない」との信念に基づき、「活字になったコンサート評」を、時にネットのアーカイブ、また時に大宅文庫へも足を運び、丹念に当時の内外の新聞雑誌に眼を配りながら、髙橋の姿を追いかける。

私は、本書の中で「高橋悠治が一九六八年をいかにくぐり抜けたか」に強い関心を覚えた。「六八年」とは言うまでもなく、様々なアート、芸能、誠治、風俗の場面で「異議申し立て」が表面化し、そして七〇年の万博を契機にそれが急速に「失速」していく時代として現在、脚光を浴びている。髙橋がその時代をまさに駆け抜けた一人であることは銘記されてよい。音楽史に限定しても、六二年の有名な「J・ケージ・ショック」の前年、髙橋は同じ草月会館で現代曲ばかりのピアノリサイタルを開きクセナキスと邂逅する。一柳慧、オノ・ヨーコ、粟津潔らとのコラボもある。六七年に飛べば武満徹『ノヴェンバー・ステップス』のニューヨークでの初演。それに先だってシュトックハウゼンの来日や東洋の音素材とした作品も試みられる。また髙橋は、七〇年代の万博の鉄鋼館で、「音響彫刻バッシェ」に管楽器と3元ステレオをミックスした「エゲン」を発表してもいる。さらに音楽の政治性をめぐっては、本書がとりあげ、髙橋に強い影響を与えたF・ジェフスキーのチリの抵抗歌に基づく「不屈の民による変奏曲」が初演された七三年に前後して、W・ヘンツェによるゲバラに捧げられた作品や、ベトナム解放戦線の「歌」の引用された交響曲など、メッセージ性の強い作品群の成立がある。L・ノーノや尹伊桑も同時代の存在だ。当時、芸術家であることは、政治的立ち位置を常に問われることでもあった。

高橋の政治的左傾化とマオイズムへの接近の背景に、著者は東京音楽学校を中退して左翼運動に入り、「労農党」の雑誌編集にも関わった父の存在と、湘南学園時代の友人で、後に経済学者となった青木昌彦の影響を見ている。「青木を感化した髙橋自身も東大ブントのそばにいた」という指摘が目を引く。そう考えるなら、近代的な価値観が揺らぎ、学生運動や社会闘争の中にアートが組み込まれていった六八年という時代にあって、当時の絵画・演劇・舞踏・映画・建築・デザインそしてファッションの中で彼がどう動いたかはもっと注目されてよいはずだ。ちなみに本書から拾い出せる、髙橋のファッションの動勢はどうだろうか。七〇年代の彼が「白ずくめでウェストを絞った、ハイネックの上着にラッパズボン。首には数珠のようなネックレス、まるでグループサウンズだ」と評されているのに対して、七五年のコンサート評では、「髙橋はスポーツシャツにジーパン、うすい革のつっかけ」で舞台に現われたという。さらに八〇年代に至ると「民族衣装らしい凝った刺繍のベスト。ボトムはロールアップしたチノパンにスニーカー」姿と捉えられている。そう考えると小澤征爾の七〇年代のスタイルも、その後の燕尾服姿とは明らかに違って、アメリカのヒッピー風俗を多分に意識したものであったことに気づく。

こうした六八年をめぐる時空間と「高橋悠治の時代」を交差させれば、その後の彼の音素材への強いこだわりも、例えばこの時代、アートの世界に現われた、所謂「もの派」などの現象と近似的ではなかったか。それはわれわれの身の回りにある、なんの変哲もない石や木、そして大地そのものを素材とした。また森山大道らの写真誌『プロヴォーク』は、敢えて現実の中に「ブレ」や「ボケ」を盛り込むことで、写真そのものの創造性を問いかけた。本書には、現に髙橋と親炙したクセナキスが「建築家」であった事実に言及し、髙橋の捉える「間」や「揺れ」の時空間構成もその影響下にあるのではないかといった指摘も見られる。髙橋にとって、音楽の政治化は、あるいは一つの「挫折」であったのかもしれない。しかし、本書は、まさに「高橋悠治という怪物」を様々な戦後のアートと政治空間へと開く一つの導きの糸となっているように私には思われてならない。

(徳島文理大学教授)

高橋悠治論
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