【書評】「水の音楽」毎日新聞 2001年10月21日 評・清水 徹

魅力的な標題である。かすかな音をたてるせせらぎ、絶えまなくわき出る泉、飛び散る噴水、降りしきる雨、そうした「水」のさまざまな姿は音楽といかにもよく合う。

他方で「水」は人間の想像力に大きく働きかけてきた。 ギリシャ神話の海の神ポセイドンは怒りっぽくて気まぐれだし、ライン河のほとりに坐る金髪のローレライは歌の魔力で舟人たちを破滅させた。 

「水」は、人間の想像力に、いろいろな神話や幻想物語を育ませてきた。

こうした二つの方向、「水」を主題とする音楽と「水」に発する神話や幻想がこの本の主題である。なかでも、「水」を主題としたピアノ曲の分析では、ドビュッシー弾きとして知られ、興味ふかいドビュッシー評伝を書いている青柳いづみこさんは、ピアニストとして「指先で考え」たことを、エッセイストとして言葉でたくみに演奏していて興味ふかい。

たとえば、リストの『エステ荘の噴水』はピアノの高音域で始まり、水の粒を思わせる細かい装飾的な音をひびかせたあと、左手が牧歌的な旋律を歌い、そこに右手による音のたわむれが「水の飛翔を思わせる」ように優雅にとびかい、「クライマックスでは、すべての噴水がいちどきに吹き上げるような轟音のなか、雄大な歌が沸きおこる」。 ローマ郊外にあるこの十六世紀に建てられた貴族の別荘で、数百もの噴水が滝のように降り注ぐありさまを何時間もみとれていたリストの想いが、鮮やかによみがえってくる。

しかしラヴェルの 『水のたわむれ』 は、「水のさざめきや、噴水、滝、小川が織りなす音楽的な響き」を、精妙で人工的な音符構成によって(楽譜分析も書いてある)、じつに透明に、いわば冷たい水のまま描きあげてゆく。リストのロマン主義を洗い流してしまうわけだ。

そこにさらにドビュッシーが対比される。『水の反映』では、「ゆらめき、たゆたい絶えず変化していく水鏡の映像に焦点」をあて、「水の中をのぞきこむ人自身の心象風景」までが暗示される。だからラヴェルにくらべて「表現はより象徴的になり、音色はより不透明になる」。「ラヴェルの水は飲めるけれども、ドビュッシーの水は、あおみどろが浮かんでいたりして、あまり飲みたくない」とは、うまい言い方だ。

だが、いかに『水』を喚起しようと音楽はあくまで音楽だ。ここからいわゆる標題音楽と絶対音楽という問題が提起されてくるだろう。著者は水の精をうたう時から想をえたとされるショパンの二つのバラードに即して、標題音楽とか絶対音楽とかの区別を超えた、芸術の本質としての「ポエジー」こそが核心にあると断言する。「水の音楽」を聴くうえで、当たり前だがもっとも重要な姿勢を指示するのだ。

「水の音楽」に深く切りこんでいるのに対して、「水の神話と幻想物語」のほうはやや表面的に横へ横へと流れているきらいがあるが、そんなことよりも、この本によって開かれた問題領域のほうがよっぽど重要だ。バシュラール的な「水」をめぐる物質的想像力と、音楽をつむぎだし、また音楽によって展開される想像力と、そして言葉を基軸とする想像力とが交錯し、溶けあう領域へと分け入ることを、この本は呼びかけている。ここに取り上げられたピアノ曲を著者自身が演奏したCDも同時に発売されているから、それを聴きながら読めば興味はさらに深まるだろう。

水の音楽 オンディーヌとメリザンド
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