【CD評】「やさしい訴え ラモー作品集」ぶらあぼ 2005年11月号 評・遠山菜穂美

綿密な研究を土台に 人間的な温かさと 躍動感に満ちた演奏
1887年製スタンウェイを使用した 青柳いづみこによる「ラモー作品集」

歴史の水脈をさかのぼり、18世紀鍵盤音楽の魅力を伝える

ドビュッシーの『ラモーを讃えて』やラヴェルの『クープランの墓』などを思い出してみるだけでも、フランス近代の作曲家たちが18世紀の作曲家たちにただならぬ思いを寄せていたことは明らかであろう。彼らは途絶えかけていたフランス音楽の伝統を復興させるにあたって、18世紀の音楽やその底に流れるフランスの精神を自分たちの模範とした。過去への思いは作曲家に限られたことではなく、ヴェルレーヌは18世紀ワトーが描いた”フェット・ギャラント(艶なる宴)”の情景を詩によみ、フォーレやドビュッシーの歌曲にインスピレーションを吹き込んだ。フランス近代作品と18世紀の作品とのあいだには、一世紀以上の時を結ぶ深い水脈がある。

ピアニストで文筆家、ドビュッシーの研究者としても知られる青柳いづみこの「やさしい訴え/ラモー作品集」は、演奏することを通じてその水脈をさかのぼり、ドビュッシーらも憧れた18世紀鍵盤音楽の魅力をじかに伝えてくれる。クラヴサンではなくピアノによるラモーである。クラヴサン音楽をピアノで弾く伝統は、彼女の師である安川加寿子がフランスのピアニストたちから受け継いだものでもあった。考えてみれば、ふだん弾いているピアノという楽器のレパートリーの延長にはバロックのクラヴサン音楽があるというのはごく自然な発送である。オリジナル楽器全盛期を通り抜けてきた今日では、ラモーをピアノで弾くことの方がむしろ新鮮に思えたりもする。結局はピアノでもクラヴサンでも、大切なのは、この演奏のように音楽に輝くような生命力が宿っていることなのであろう。

明晰で透明感のある音で、ラモーの音楽を生き生きと表現

収められている曲はラモーの「クラヴサン曲集」(1724)、「新クラヴサン曲集」(1741)それぞれからの抜粋で、ラモーの鍵盤音楽をほぼ一望できる内容になっている。ノンレガートぎみの粒のはっきりした音、きれのよい明晰な音は、クラヴサン音楽であることを意識したものではあろうが、演奏にクラヴサンの模倣という消極的な発送は感じられない。むしろ、ラモーの楽想のひとつひとつを純粋にピアノでどう表現するか、つまりあくまでもピアノを出発点とする姿勢に貫かれているといえるだろう。使用ピアノは1887年製スタンウェイ。ピアノのやさしい音色、しかもドビュッシーの時代のそれが、クラヴサンとはまた違った味わいをもたらしている。

CDの標題でもある『やさしい訴え』や、有名な『鳥のさえずり』、『タンブーラン』、ガヴォットやメヌエットなどの舞曲とその変奏(ドゥーブル)など、ラモーの鍵盤作品は実に多彩である。青柳は、前述の明晰で透明感のある音にきめこまやかな表情をつけながら、感情とひらめきにあふれるラモーの音楽を生き生きと表現している。時には『ひとつ目巨人たち』や『王太子妃』などのように、ペダルもフルに活用してドラマティックな世界を演出する。アーティキュレーション全般に加え、『ロンド形式のミュゼット』や『異名同音』などの”イネガリテ”(わざと不均等なリズムにする伝統的な奏法)、クラヴサン音楽特有の装飾音なども自然で板についており、音楽は停滞することなく、いつも活気をおびながら進んでいく。こうした自在な表現は、演奏家が様式を研究するばかりではなく、優れたセンスの持ち主でなければとうてい不可能であろう。綿密な研究が土台にありながら、学究的な堅苦しさとは対極の、人間的な温かさと躍動感にみちた演奏である。この微妙な距離感に、ピアニストが長年演奏と研究を両立させてきた鍵があるのかもしれない。

ラモーへと遡ったことが、今後どうドビュッシーの演奏に生きてくるのか楽しみである。

やさしい訴え ~ラモー作品集~
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