【インタビュー】ストラヴィンスキー「春の祭典」「ペトルーシュカ」 CDジャーナル12月号

ストラヴィンスキー自身による『春の祭典』の連弾版

取材・文/宮本 明

青柳いづみこと高橋悠治の連弾による『春の祭典、ペトルーシュカ(作曲者による連弾版)という注目の録音がリリースされた。ストラヴィンスキー自身による『春の祭典』の連弾版は、あのバレエ初演より前に出版されたが長く演奏されず1968年になってようやく、作曲者に指名された、当時まだ新進指揮者だったマイケル・ティルソン・トーマスによって初演されたという。高橋は直後にそのトーマスと弾いている。現在、高橋悠治論も執筆中という青柳に聞いた。

”連弾、やる?”

――最近、コンサートでも頻繁に悠治さんと連弾で共演していますね。

「2014年に悠治さんから“連弾、やる?”と誘われました。三軒茶屋のサロン・テッセラで開催されている音楽祭で、毎年悠治さんが任されているプログラムがあって、最初はその一環でした」

――最初から4手連弾ということだったのですか。

「そうですね。2台ピアノは嫌いだとおっしゃってました」

――CDのライナーノーツによると、最初に青柳さんが提案した曲はことごとく却下されたとか。

「そうなんで。若い頃から雲の上の存在ですから、声をかけていただいてちょっと盛り上がって(笑)。楽譜をたくさん買い込んで何曲か候補を出したんですけど全部ダメだって。
 まず三善晃、矢代秋雄、林光、新実徳英あたりの作品を提案したところ、日本人作曲家は弾きたくないと。それからデジレ=エミール・アンゲルブレシュトの〈子供の部屋〉とか、リゲティとか、20世紀の作曲家が子供のために書いた調性音楽は弾きたくない。オーケストラ曲を連弾用に直したものも弾きたくない……。そ
んなこと言われたら、なにも残らない(笑)。かろうじて最後に残ったドビュッシーの〈6つの古代碑銘〉を弾いたのですが、あらためてそのときのメールを見てみたら、”やってもいいかな”という数少ない候補の中には『春の祭典』と〈3つのやさしい小品〉も入っていました」

――悠治さんは、最初からストラウィンスキーをイメージしていたのですね。

「お好きみたいです。とくに『春の祭典』は積極的でした。でも、わたしにはとても弾けないと思い込んでいて(笑)。わたしはドビュッシー屋だし、あんな暴力的な曲!みたいな。だからわたしのコンサートでドビュッシーの〈自と黒で〉(2台ピアノ)をとりあげたときも、カップリングは『春の祭典』がいいとおっしゃっていたのですが、却下したのでがっかりなさってました。結局『春の祭典』は去年の秋にHakuju Hallと静岡の青嶋ホールで弾いて、今年の春にラ・フォル・ジュルネと5月に大阪でもやりました。大阪では『ベトルーシュカ』も初めて弾きました」

――『ペトルーシュカ』も悠治さんからの提案で?

「いいえ。『ペトルーシュカ』だったら、楽しい曲も多いので、わたしもやりたかったんです。でも今度は悠治さんが乗り気ではなかったようで。悠治さんは〈ペトルーシュカからの3楽章〉ではない、ピアノ独奏用の全曲版というのを弾いたことがあって、そのときすごく苦労したのだそうです」

―――『春の祭典』は、連弾よりも2台ピアノ版がよく演奏されますね。

「そうなんです。普通2台ですよね。でもストラヴィンスキー自身が書いたのは連弾版だけです。みなさん独自にアレンジしているみたい。連弾は、たぶんバレエの稽古用に書かれたのだと思います」

―― 青柳さんのご専門であるドビュッシーが、ストラヴィンスキーと連弾で『春の祭典』を弾いたというエピソードがありますが、それがまさにこの版なのですか?

「バレエの初演の1年前に2人が連弾をしたことは、はっきりと証言が残っています。でもそのときに連弾版がすでにできていたかどうかはわからないですね。ドビュッシーは初見の天才ですから、オーケストラ・スコアのスケッチを見て弾いたのかもしれない」

悠治さん自身がペトルーシュカなのかも

一一CDでは青柳さんがプリモ(上のパート)、悠治さんがセコンド(下のパート)を弾いていますね(余白に収録された「3つのやさしい小品」では交代)。どうやって決めたのですか?

「悠治さんが自分で、”低音をノンペダルで弾く”と。下でペダルを踏まないと、単音がのびないし、和音がきれいに響かないところもあるのに、頑固なんですよ。第1部と第2部の序奏だけはわたしがペグルを踏ませてもらいました。
 それと、こちらがメロディのときも、なんと言うか、悠治さんのセコンドは寄りそってくださらない。つねに機械的にポキポキと。それでいて、私のメロディに、”もっと息長く歌え”とおっしゃるので、”そんなゲーム音楽みたいな伴奏だと(笑)息長く弾けない”と文句を言つたら、”それはそれ。これはこれ。関係ないんだ”と(笑)」

――ラ・フォル・ジュルネのリハーサル風景を撮影した動画を見ましたが、かなり喧々謂々やりあつている様子がうかがえました。ちょっとハラハラするぐらい。

「やはり音楽になると、お互いの立ち位置もあるし、これまでの長い活動もあるので、譲れないところはありますね。でも〈3つのやさしい小品〉でバートを入れ替わつてみたら、悠治さんが、”セコンドはほんとうにきっちりリズムだけ刻んで、プリモに合わなくていい、むしろ合わせてもらっちゃ困る”と言うので、ああそういうことかと、やっとわかりました。プリモは下に関係なく歌えばいいんだなと。だからそのあとはわたしも、悠治さんのセコンドに関係なく、勝手に楽しく弾くようになりました。こちらが楽しく弾けば、なんだかんだ言って下もついてきてくださるみたいです。だから、〈3つのやさしい小品〉をやってよかったです。
 立脚点が違うので、悠治さんの言っていることの意味を考えたり、また、自分でも考え直したりというやりとりのなかで、楽譜の読み方が変わったような気がします。そもそも、『春の祭典』なんて、こんな曲は私には弾けない、弾きたくないと思っていたのが、まがりなりにも弾いて録音もしたので、すごく地平線が広がっ
て、そのおかげで弾きやすくなった曲がほかにもあるし。自分自身としては、いまちょっと未来キラキラなんです」

――悠治さんがお好きだというストラヴィンスキーヘの思い入れを、演奏からも感じますか?

「う一ん。今の悠治さんは音の少ない、枯れた境地の作品が好みなのに、なぜ『春の祭典』だけは弾くんですか?ときいてみたけれどお返事がない(笑)。でも、リズムが小節線を越えてずれていくところなと舌なめずりしながら弾いていますね。低音を暴力的に響かせるところも、凄味があります。本当に生贄の乙女にされたような恐怖感も味わいましたよ。もしかしたら、悠治さん自身がベトルーシュカなのかもしれないなと感じることもあります。20世紀音楽はどうしても音価と強度のモードになるし、悠治さんも最初はかたくななまでにそうなんですが、だんだん人間化してくるというか。それに悠治さん、『ペトルーシュカ』は興味がないと言っても、タングルウッド音楽祭でオケ中のビアノを弾いたことがあるので、ソロの部分を弾いて例を示すと、それが、哀しくて不器用で、ほんとうにペトルーシュカが乗り移ったみたいなんです」

――今後も連弾は続くのですか?

「さて、どうでしょう(笑)。でも来年の3月のコンサート用にドピュッシーの〈牧神の午後への前奏曲〉の連弾版を書いていただくことになっています〈牧神〉は2台ピアノ版なら作曲者自身の編曲があるんですけど、連弾はラヴェルの編曲なんです。悠治さんは、印刷前の自筆譜をヒントにして自分で書いてみてもよいとおっしゃるので、すごく楽しみです。有名曲には関心がないふりをしているけれど、どうも〈牧神〉はお好きみたいです(笑)」

ペトルーシュカ
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