味わい本発見 この分野はこれを読め!
「ピアノ手」という言い方がある。実はかく言う僕もそうなのだが、人と話していたり、一人考え事などをしている時に、無意識に手がピアノを弾く形になっていて、机や膝を指先で打っているのである。ピアノを弾く者にとって指先は、水面の水鳥の足のように、動かしていて当たり前。まして専門家であるピアニストともなれば、動かしてなけりゃ生きていけない。従って、ピアニスト青柳いづみこさんがこの本を書いたのは自然のなりゆき。必然と言っていいのである。
ただ、無意識である指先運動をあらためて「意識」し、文章化するのはむずかしかろうと推察してしまう。どちらの足から踏み出すかを真剣に考えたらころんじゃう、という話に似ている。しかし、青柳いづみこさんは、それをやった。やり遂げた。しかも、実におもしろい。ピアニストっていったいどんな人種か、とふだんいぶかしんでいる人たちにも十分におもしろいはず。
もちろん、おもしろいのは指先の話だけではない。たとえば、「モーツァルトは”なんちゃって”の人だと思う」などと言った人、今までにいる? 「短調で暗くてガーッと行っていても急にはぐらかしてあっけらかんとした音楽になる。今までのドラマは全部ウソ、そんな魅力がある」だって・・・。僕もずいぶんモーツァルトについて下世話なことを書いたりしゃべったりしてきたが、この論(かな?)にはナルホドである。
けれども青柳さんは、話をおもしろくするためにみずからのエキスパートの誇りを曲げたり捨てたり、など一切していない。私たち「絶対音感族」には「相対音感族」が分からない、とまで言ってしまう。にもかかわらず、絶対音感を信じる価値観に対して、明確にNO! と言い切る。
この書が、サッカー選手は足で考え、力士は腰で考え、作曲家は耳で考え、そしてピアニストは・・・という路線にあることに間違いはないが、この人の指先は単なるスタート地点なのだ。指先から世界が拡がる。あるいは指先がどんどん伸びる。そのまっすぐ感とスピード感が、何とも、痛快。