レコード芸術特選盤
濵田滋郎
[推薦]《春の祭典》《ペトルーシュカ》のピアノ4手版は、他の作曲家によるオーケストラ曲のそれらと比べて、抜群におもしろく、別個の世界を謳歌するものとして耳に、心に、響く気がする。もとより私はただ自分の感覚としてこう言うだけで、もし、このおもしろさを理論的に解明できる人がいるなら、ぜひお説を伺いたい気がするが…。これらの曲のピアノ・デュオ盤にはこれまでも特選盤となった印象的な演奏がいろいろと生まれてきた。が、このたびの1枚は、あきらかに、ひと味も、ふた味も他のものとは述う。日本のピアニストの中でも最も個性的な範疇に入る2人の成せる業なのだから、それも当然なのだが。ブックレット内に、いづみこは「ドビュッシーが愛し、かつ恐れたストラヴィンスキーの魅力」という題で、また悠治は「連弾の楽しみ」という題で、それぞれ一文を寄せているが、共に示唆に富んでたいへんおもしろい。「ストラヴィンスキーの連弾は、二人の手の協調を旨とする家庭音楽のそれとは違い、それぞれ異質な音楽のぶつかり合いになる」といったことを悠治は述べ、いづみこは彼の「ぴったり合わないほうが音響的に立体感が増す」という考え方にまず驚いた、と記す。ボーナス・トラックの《3つのやさしい小品》のみは役割が逆になるが、主な2作品は青柳がプリモ、高橋がセコンド。ともかく終始、スリリングな自在さに満ちた連弾で、他のいかなるデュオからも味わえないものを味わえる。
那須田務
[推薦]こんなに面白いピアノ・デュオは聞いたことがない。青柳いづみこと高橋悠治がストラヴィンスキーの《春の祭典》と《ペトルーシュカ》(共に作曲者自身の連弾版)を共演しているのだけど、ずれているし粗削り。表現の方向性にも微妙に違いがあるようだ。そもそもアンサンブルや解釈を練り上げようなどという発想などないのかもしれない。コンクール向きではない。でも、二人の感じ方がぶつかり合って火花を散らし、即興的な趣と相俟って、作品そのものがその場で生まれてくるような、創造のエネルギーがダイレクトに伝わってくるようなスリリングな感興があり、ぶっ飛びの面白さがある。ライナー・ノーツを読んで納得した。高橋は「ぴったり合わない方が音響的に立体感が増すという考え方」で、青柳に「微妙にずれて絡み合っているのが理想だが、即興的なものだから、練習すればするほどできなくなる。あるいは練習を重ねて、お互いに自由に弾けるまでやることもできる」と語ったそうだ。結局後者の方を採ったらしい。やはり確信犯である。《春の祭典》では絡み合い縺れ合って、そのもどかしさがいいようのない情念として表現される。でも音楽を演奏することの楽しさや愉悦、発想のユニークさは半端じゃない。加えて音色の多彩さや閃き。凡庸な表現は一つもない。不思議なのはこれほど個性的な演奏なのに、作曲者の精神が生生しく感じられることだ。このディスク、取扱注意。コンクールの模範にしないように!
山之内正
[録音評]連弾ならではの一体感を感じさせる録音で楽器の響きとしてはひとりで演奏しているようなまとまり感が強いが聴き進めていくと低音と高音各パートのセバレーションは十分に確保していることがわかりリズムと旋律それぞれの演奏の特徴を細かく聴き取れる。五反田文化センターの素直な余韻を活かした空間性豊かな音場が広がるが、ピアノのイメージ自体は過剰に広がることがなく左右スピーカーの間に「自然な音像が低位。聴き手との距離も近付きすぎることがなく適切。余韻はSACD層のほうががCD層よりも見通しがよい。(93/93)