高橋悠治とのデュオで描き出す鮮烈なストラヴィンスキー
青柳いづみこ【ピアノ】
ききて・文=長井進之介
写真=青柳聰
ドビュッシー研究の第一人者であり、ピアニスト、文筆家である青柳いづみこ。来年のドビュッシー没後100 年に向けてのコンサート・シリーズなと幅広い活動を展開している彼女が、今回「R-RESONANCE」レーベルより作曲家・ピアニストの高橋悠治との4手でストラヴィンスキー《春の祭典》《ぺトルーシュカ》を収めたディスクをリリースした。日本を代表するピアニスト同士による大曲の”競”演は、一流の音楽家同士ならでは
の熱いやりとりによって生まれたものである。
「連弾、やる?」
「CDの制作自体は、昨年ハクジュホールで「ドビュッシーをめぐる新しい潮流〈1916年〉』のコンサートを聞いてくださったレコード会社の方からお話をいただきましたが、連弾そのものは高橋さんから”やる?”と言われたんです。ご自宅近くの図書館で私の本やCDを見て興味をもってくださったようです」高橋との連弾は2014年に開始。話をもらった青柳はすぐに楽器店に候補となる曲を探しに出かけ、楽譜を大量に購入したそうだが、そのほとんどが拒否されたという。
「20世紀の作曲家が子供のために書いた調性音楽や日本の現代作品、オーケストラ曲を連弾用に直したものは、高橋さんの中では嫌ということだったんです。基本的にはあまり知られていない曲がお好きなんですよね。あとは誰かが補筆したものとか、書き起こしたり…そういう希少性のあるもの。例えば2015年に開催した『1915年のドビュッシー〈ショパンへの想い〉』のときにはショパンの《4手述弾のための変奏曲ニ長調》を二人で演奏しましたが、これはヤン・エキエルが補筆したものでしたね」
《春の祭典》も《ペトルーシュカ》もオーケストラが原曲だが、これらはなぜ採用に至ったのだろう。
「《春の祭典》は高橋さんが、これならやっても良いとおっしゃった数少ない山のひとつでした。ストラヴインスキーはピアノで作曲する人で、オーケストラ音楽をピアノ用に編曲したというよりは、ピアノで作ったものを後からオーケストラの音に当てはめていった作品なのだそうです」
まったく違うアプローチ
カップリングとなった《ペトルーシュカ》はレコード会社からの提案であると同時に青柳の希望だった。どちらも本当に大曲だが、弾くことよりも”連弾”が大変だったという。リハーサルのドキュメント映像がプレス関係者に公開されたが、そこには二人のかなり激しいやりとりが映し出されている。
「基本的に音楽の好みや方向性が違うので、ときどき爆発しました(笑) 。高橋さんは20世紀の音楽をご専門にされてきた方で、こちらはフランス音楽中心にやってきたので、楽譜の読み方がまったく違うんです。リズムも私は前のりで、高橋さんはがっちりタイプだから、普通に弾いたらずれますが、そのほうが良いと言われたり。フレージング一つとってもいろいろと話し合いました。例えばあまり管楽器が歌いこまないところで深く歌ったり、メロディじゃないところにメロデイを感じていらっしゃったりと、まったく新しいアプローチにびっくりしました。バランスもいままでにないものになり、おもしろいけれど、あまりにも遠近感が出ないと感じたときは、パートを入れ替えて”こう弾きたい”と伝えたりしました」
《春の祭典》《ペトルーシュカ》ともに、青柳がフリモ、高橋がセコンドという役割で演奏している。パスとペダルの主導権を高橋が握っているため、青柳は理想の響きを創り出す-めにいろいろな手段を駆使して高橋に希望を伝えていったという。
「言葉では絶対に納得しない方なので、実際の音や姿勢で少しずつ示すしかなくて。昨年ハクジュホールで演奏したときに一度仕上げたのですが、今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンで再演したあとのタイミングで知人の指揮者に聞いてもらってから、すごく良くなったような気がします。どの楽器が表に聞こえる、聞こえないとか、この楽器はどんな音色を出すか、を指榔者の耳で聞き、全体のバランスについて助言してもらいました。今回の収録にあたっては。スケルトンみたいな《春の祭典》にしたい。というレコード会社の方針もあったので、音楽のテクスチュアを細部まではっきり聞かせる高橋さんのスタンスと相まってかなりドライな響きになりました。私がセコンドだったらまったく違うものになっていたと思いますね」
不気味なものへの憧れ
お互いが自己を確立したピアニストだからこその意見のぶつかり合い、刺激し合うことが新しいストラヴィンスキーの世界を創り上げていったことが窺える。
「もちろんたくさん勉強させていただきました。考えてもいなかった方向から意見が出てきて、それについてうーんと考えこんだり。普通、連弾は先生と生徒とか友達同士とか、ベースが同じ人と弾くものなので予定調和になりやすいですが、ことごとく対立するので、どうして自分はそう感じるのか問い直したり、さらに譜面を読み込む機会になりました。アプローチが違うからこそ新鮮で、喧嘩しながらも続けてこられたのでしょう」
”歌う”ということからリズムの取り方までまったく迷う二人だが、どこかに合致するものがあるからこそできるアンサンブルが聞こえてくる。そこにはこんな秘密があった。
「グロテスクの美というか、不気味なものへの好みは共感しあえるんです。以前、インタヴューのあとで渋谷のナディッフに立ち寄ったら(ヒエロニムス・)ボッシュの絵画に出てくる怪物のフィギュアが棚に並んでいて、それを高橋さんがうれしそうに眺めてたんですよね。私もそういうものは大好き。感覚的な面はすごく合うんでしょうね。それから《ペトルーシュカ》の、人間になろうとしてなれない深い悲しみなどの表現が高橋さんは本当にうまいんです。言葉少ない中に多くの表現がこめられていることに感動しながら、求められる音を実現したいと思って一生懸命弾きました」
これまでにはドビュッシーやショパンなどさまざまな連弾作品に取り組んできた二人だが、以前ドビュッシー《白と黒で》を2台ピアノで演奏したときの印象がいまも強く残る。
「《白と黒で》はゴヤの『カプリチョス』という版画集にインスパイアされたもので、やはりグロテスクな部分が多いんですよね。初めての合わせから、セコンド・ピアノにどす黒い霧がもうもうと立ち込めて、”ああ、これこれ”と思いました。世間でドビュッシーはいまだに”印象派”のイメージが抜けきっていないので、こ
ういう雰囲気を出してくださる方は本当に少ないんです」
発見の連続
ボーナス・トラックにはおなじくストラヴィンスキーの《3つのやさしい小品》。これは高橋が弾きたいといった数少ない曲だったという。
「もともと収録する予定はなかったのですが、ラ・フォル・ジュルネのアンコールで抑いたところすごく好評で、ぜひ入れたほうがいいという話になったのです。この曲だけパートを反対にしていて、高橋さんがプリモで私がセコンド。高橋さんからは、プリモのルパートには合わせず、ずっと同じテンポでリズムを刻んでくれといわれたのですが、単純な音型を変化なしに弾き続けるというのはすごく大変なんです。だんだんと神経がマヒしていくような感覚になります」
今回の録音は、青柳と高橋の連弾におけるひとつの集大成のような位置づけになる一枚となっている。お互いの正反対のピアニズム、音に対する感覚がぶつかり合うことでお互いの持ち味をさらに拡大し、幾重にも新ししい響きを創り出しているのだ。さらには青柳の活動にも大きな影響を与えたようだ。
「本当に毎回発見の連続でしたから、自分の可能性がものすごく広がりました。以前からドビュッシーをやっていく上ではストラヴィンスキーの作品に徹底的に向き合わなければと思っていましたしね。ストラヴィンスキーの書法からドビュッシーの響きが聞こえてきたり、ドビュッシーなら絶対こうは書かないという部分が見えたり、楽譜の見方がすっかり変わりました。また、ドビュッシーのコンサート・シリーズがひと段落したら、今度は”六人組”をテーマとしたシリーズを考えているのですが、それにあたってもストラヴインスキーの存在は無視できません。まったく偶然ではあるのですが、本当に得難いチャンスをいただいたと思っていて、高橋さんにはとても感謝しています」