オリンピックや世界選手権でフィギュアスケートの演技を見ていると、ときどき採点に違和感をおぼえることがある。すばらしい演技だと思ったのに、意外に点がのびない場合である。
テレビの解説者が、その理由を説明する。あのジャンプは回転不足だった、ステップで正しくエッジが使えていなかった、スピンの軸がとれていなかった、等々。こちらは納得しつつも、素人目にはよい演技にみえたのに、専門家というのはずいぶん感動に水をさすものだという不満が残る。
クラシックの演奏にも同じようなことが起きる。フィギュアスケートでは素人だが、クラシックではこちらが専門家だから、反対の立場になるわけだ。
4月12日、フジコ・ヘミングのリサイタルに足を運んだ。2006~7年に文芸誌『すばる』の依頼で何回かコンサートを聴いて以来だから、ずいぶん久しぶりである。
そのときの記事が5月刊行『ピアニストたちの祝祭 唯一無二の時間』(中央公論新社)に収録されることになり、現在のフジコも聴いておく必要を感じた。
フジコ・ヘミングは、一般社会とクラシック界の断絶を象徴するような存在だと思う。クラシックにはあまり詳しくない人でも、フジコの名前は知っているだろう( なぜか、ヘミング” ウェイ” とおぼえている人が多い) 。クラシック関係者が日本の第一人者と考えるピアニストたちも、一般的知名度という点ではフジコにかなわない。
NHKドキュメンタリー「フジコ--あるピアニストの軌跡」が放映され、リスト『カンパネラ』のCDが大ヒットしたのは、20世紀の終わりだったと記憶している。当初は、専門家筋では批判のほうが多かった。協奏曲で、弾きはじめのタイミングを指示する人間プロンプターがついている、演奏途中で止まる、楽譜に書かれていない音を弾く、テンポが極端に遅い、等々。
いずれも、クラシックのピアノ的には大罪なのだが、フジコのファンは少しも減る気配をみせなかった。少なくとも私が行ったときは、サントリーホール、東京文化会館大ホールなど都内の主要劇場はいつもいっぱいだった。
些細なミスをくまなく聞き取ってしまう専門家と、そうした訓練を積んでいない耳には大きな差がある。テンポも、作曲家の指示した速度や、習慣的にこのぐらいで弾くという基準値のようなものはあるが、そもそも基準を知らなければ、妨げにならないだろう。
そして、関係者が一様にびっくりした人間プロンプター。私が集中的に聴いたころ、最初のうちはたしかに、横に楽譜を持って指示を出す係がついていたが、途中から姿が見えなくなり、フジコは協奏曲を暗譜で弾くようになった。
どうしてフジコ・ヘミングはこれだけ多くのファンを獲得することができたのだろうか。
もちろん、ドキュメンタリー番組の効果は大きいのだろうが、フジコのピアノに人を惹きつける魅力があるのもたしかだ。まず、音がきれい。フジコの音はひとつひとつがよくのび、人間の声のように語りかけてくる。つぎに、間のとり方がうまい。聴き手が感情移入できるように、メロディの歌いはじめ、歌いおわりでふっとゆるめる、そのタイミングが絶妙だ。
1970年代、ピアノの技術がとんでもなく上がってしまい、モントリオール・オリンピックのナディア・コマネチのように完璧な演奏をするピアニストが増えた。それがそろそろ飽和状態になったころ、ひと昔前のなつかしいスタイルで弾くフジコがあらわれ、「完璧」に疲れた耳を癒したということはあるかもしれない。
それから15年。久しぶりに聴いたフジコのリサイタルは、相変わらずオペラシティ・コンサートホールがほぼ満員だった。黒のスパッツに長いレースのチュールを巻き、打ち掛けのようなものをはおり、ほつれ髪を花やリボンで飾るスタイルも元のまま。
フジコの音は、声楽家でいうところの、ツボにはまった音だ。モーツァルト『夜の女王のアリア』を歌うコロラトゥーラの歌手のように、ひとつひとつ確実に当ててみせる。スカルラッティのソナタでは、輝きと芯のある音たちが3階席までのぼってきた。
感心したのは、シューベルト=リストの『ます』。よく知られた旋律がリスト特有の技巧的なパッセージで装飾される難曲である。学生が一生懸命飾りを弾くと、旋律が埋もれて聞こえなくなったりするのだが、フジコはくっきりした音でメロディを歌い、まわりをうねるようなフィギュレーションでふちどる。音のさざ波がホール全体に伝わり、魚が楽しそうに泳いでいるようだった。
いっぽうで、これはむずかしそうだなと思った曲ではやはり破綻が起きたし、打鍵や暗譜が不安定な曲もあった。アンコールに弾かれたベートーヴェン『テンペスト』の終楽章では、途中で止まってしまってテーマに戻り、何とか最後まで弾き終えた。
帰りぎわ、ファンの一人が、あのベートーヴェン、すごかったね! と言っているのを耳にした。感激に水をさす気はないけれど、それだけは、どうしても専門家として同調できない。