ジェローム・ロビンスのバレエとアンリ・バルダ その2

その1はこちら

結局、私たちはすぐにバルダと仲直りした。

最初のアクションは、私の携帯にはいっていたバルダからのメール。
「もしかしてお前たちは今日(4日)の午後の後半に私に会いたいと思っているか?」直訳するとこんな感じになる。

次のアクションは川野さんの手紙。最大限に礼をつくしておわびの言葉を書き連ねたらしい。最後に愛のメッセージもふんだんに盛り込む。美術館見物に行くついでにバルダのホテルに持っていき、フロントに預けてくると言って川野さんはアパートを出た。

私は部屋に残って仕事のつづきである。グレン・グールド論の初校が出ていて、一応出発前に戻してはきたのだが、往生際が悪く、まだ推敲したりないところがある。PCを開いてゲラの写しに手を入れる。

そうこうしているうちに、バルダから電話がかかってきた。「アロー?」もう川野さんからの手紙を読んだかなと思い、「ヨーコは?」ときいてみたら、「ヨーコ? 何のことだ」とバルダ。彼女はそちらのホテルに行ったはずだが・・・と言いかけたとたん、バルダが「今、あっちのほうにヨーコが見えた」と叫ぶ。えっ、何それ。とにかく川野さんにかわってもらったところ、笑いながら、ホテルに手紙を届けたあと、道でばったり会っちゃったのだと言う。「私、いつもバルダとばったり会ってしまうのよね」。

このあたりの経緯を川野さんにきいたら、以下のようなことだったらしい。ホテルには運良く! バルダはいなかったのでフロントに詫び状を託し、スワロフスキーで妹さんに頼まれたお土産を買い、外に出て数歩き振り返ったら、そのスワロフスキーのお店の脇でバルダに良く似た人物が電話をかけていたという(電話の相手はもちろん私)。まさかこんなところで会うはずないよね・・・と思ったら手招きするので、駆け寄ったという。

川野さんはてっきりバルダが置き手紙を読んだと思っていたのだが、電話切った瞬間、「お前たちは何で大変な思いをして取った招待席に座らなかったんだ~~~!!」とすごい剣幕で叱られて、返す言葉もなく「ごめんなさい、悪気はなかったの・・・」とくり返し、私のぶんまで怒られて大変だったらしい(スミマセン)。とにかくどこかでお茶することにして、ドイツ語のできない私でもわかるシュテファン寺院の前で15分後に落ち合う約束をした。

ところが、私がアパートを出て寺院のほうに歩いて行ったら、向こうからバルダと川野さんがやってくるではないか。どうも、方向音痴の私がちゃんとシュテファン寺院まで来れるかどうか心配になって、ケルントナー通り(オペラ座か らシュテファン寺院に通ずるウィーンのメインストリート)をゆっくり歩き、シュテファン寺院の手前を右折してアパートに向かったらしい。

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川野さんの手紙を読んでいないバルダは、まだ渋い顔をしている。
バルダの提案で、シュテファン寺院の向かいにあるホテルの上階のカフェにはいった。カフェは込んでいて、しかもタバコの煙がもうもうにたちこめている。バルダはむせながら「フランスでは禁煙はあたりまえなのに何なんだここは・・・」と文句を言う。教会の塔がよく見える窓際の席に座り,バルダビールとソーセージ、私たちは焼きサンドのセットとコーヒーをオーダーする。

バルダはまだ昨夜の招待券のことをブツクサ言っている。どうしてお前(私のこと)は自分が電話したときにもうチケットを取ってあると言わなかったのか、せっかく事務局にかけあってよい席をおさえたのに、その席に誰もいないので本当に恥ずかしかった、etc,etc 。いちいちごもっともで、ひたすらあやまるしかない。でも、事務局は招待券をばらまいているから、座る場所に気をつけろと言ったのはそっちなのに・・・とかお腹の中では考えている。

気まずいのでサンドイッチにぱくつく。つけあわせのポテトフライがかりっと揚がっていておいしい。ビールにも合うのでバルダも手をのばし、ケチャップにつけてぱくぱく。少し機嫌がなおったかしら。

ぶつくさ言いつつ、バルダはカメラを出してシュテファン寺院や私と川野さんの写真を撮り、楽しそうでもある。笑いながら怒る・・バルダにはよくあることだ。

私たちはその日オパーで『ドン・ジョヴァンニ』を観ることになっていて、ボックス席のかなりよい場所をおさえていた。川野さんは普段着のまま出てきてしまったので着替えに帰りたいらしいが、私はただでさえ気まずいバルダと二人きりにされるのがいやで、このままいてくださいと懇願する。

『ドン・ジョヴァンニ』の開始時刻が近づいてきたのでカフェを出てオパーに向かう。バルダが、ウィーンの歌劇場は最新式で、正面の壁にスクリーンを設置し、チケットを持っていない人でも上演をみることができるようになっていると話す。たしかに、武道館を思わせる巨大なスクリーンが設置され、前にはベンチが置かれている。バルダとそのスクリーン前で別れ、劇場内にはいる。普段着で来てしまった川野さんは、ボックス席の場所を確認したあと大急ぎでアパートに戻り、ワンピースに着替えてきた。ウィーンのオパーの観客は割合に地味で、初日でもないし、それほど着飾っている人はいない。

留学時代にウィーンでオパーに通いつめた話は前回書いたと思う。ビルギット・ニルソンのイゾルデ、ペーター・シュライヤーのハーゲン、ギネス・ジョーンズのサロメとか、『ドン・ジョヴァンニ』ではフィッシャー・ディースカウの騎士長もあったろうか、とにかく豪華キャストだった。

今回の『ドン・ジョヴァンニ』も舞台はきれいだっだが、背景は写真だけとかずいぶん節約している感じだ。地獄落ちの場面も装置にお金をかけないのでまるで迫力なし。

指揮(Welner-Most)はすごくテンポが早く、序曲など荘重さが出ないし、歌手たちも早口言葉みたいになってブレスが大変そうだった。これが今の流行なのだろうか。

ドン・ジョヴァンニ役(Ildebrando D’Arcangelo)はよい声で、演技も自然、見た目もワイルドでかっこよかった。この役ばかりは、これなら女たちがほだされるのも無理はない、という気持ちにさせるようなワルの魅力がないとシラケてしまう。対して、ボケ役のレオポッロ(Wolfgang Bankl)はすごく肥っていて、久しぶりに歌手らしい歌手を見た思いがす る。この人もよい声だが、ドン・ジョヴァンニ役の声に似ているので、ときにかぶってしまうことがある。

男性陣に比べて女性陣は見劣りがした。ドンナ・エルヴィラ(Malin Hartelius・スウェーデン) はまだいなせな感じでよかったが、ドンナ・アンナ(Camilla Nylund ・フィンランド) はまったく声が出ていなかったし、コロラトゥーラの音程も不正確。これで、今シーズンのウィーンのサロメやアラベラを歌っているというから、ソプラノはよほど人材不足なのかと思ってしまう。

ツェルリーナ(Ilena Tonca・ルーマニア) も声が何だかぱっとしない。「お手をどうぞ」のアリアなど、かわいらしい魅力がなければ効果がないだろう。それでも、ウィーンのオパーの聴く者を包み込むような音響はすばらしく、堪能して帰ってきた。

この日の晩ごはんは前日の残りのターキーをきざみ、ズッキーニとトマトを加えたソースをつくり、ペンネにかけていただく。他にハム、ウオッシュチーズ、ピクルスなどをつまみに、オーストリア産赤ワインで乾杯した。

食事中にバルダから電話がかかってきた。何と、チケットを持っていなかったので、劇場の外の大型スクリーンでずっと観ていたのだという。ドン・ジョヴァンニは好演だが、ドンナ・アンナは声が出ていなかったし、音程も悪かった、地獄落ちの場面はまったく恐怖不足だった・・・と、同じような感想を言う。お前たちを驚かせるために終演後入り口で待っていようと思ったのだが、あまりに寒かったので最後の6重唱の場面の前で帰ってきてしまったという。そのくらいならチケットを買えばよかったのに。ホテルのフロントから川野さんの詫び状を渡されたらしく、ヨーコの手紙に感激している・・・というので川野さんに電話をかわった。作戦成功!

5月5日はロビンスのバレエの2回目の公演がある日だ。昼間はウィーンの美術館巡りである。まず、「黄金のキャベツ」の異名があるセセッションにクリムト「ベートーヴェン・フリース」の壁画を見に行った。

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「ウィーン分離派」の第14回展覧会(1902)に出品された壁画で、ベートーヴェンへの賞賛の念を示すために構想されたという。楽園の天使たちの合唱をバックに接吻をかわす男女の姿は、第九交響曲の歓喜の合唱のテキスト「この接吻を全世界に」からとられたとか。展覧会の終了とともに破棄される運命にあったが、美術コレクターが購入し、1903年の分離派第18回展覧会のあと、8つの部分に切り分けて保存された。

音楽が聞こえてくるような壁画なのかなと思って観たのだが、部屋そのものに風情がなく、とてもミケランジェロの『最後の晩餐』とは比較にならない。クリムトの装飾的な図柄や繊細な線、金箔や螺鈿細工を駆使した手法は、ベートーヴェンの無骨で壮大な音楽とはあまり相いれないように思われた。これはちょっと期待はずれ。

逆に期待を上回ったのが、新王宮の美術館である。留学生時代に市立の歴史美術館には通ったが、新王宮のほうは初めてである。いくつかある博物館の中で、エフェソス博物館と古楽器博物館に行った。

エフェソスには思い出がある。新婚旅行でギリシャに行ったとき,エーゲ海クルーズの一環としてエフェソス観光が組み込まれていた。エフェソスは紀元前11世紀に古代ギリシャ人が建設した都市国家で、現存する古代ギリシャ文明最大の遺跡である。とくに、乳房をたくさんつけたアルテミス像は有名だ。

都市遺跡はポンペイを巨大にしたようなもので、柱が立ち並ぶ石畳の道を歩んでいくと、左右に古代の円形劇場とか神殿、広場や浴場跡、美しいタイルや壁画で飾られた住居跡など次々にあらわれて、壮観である。当時はまだ発掘途中で明らかになっていない部分が多かったようだが、今は全貌をあらわしたのだろうか。

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オーストリアの考古学者がこのエフェソス発掘にかかわっているようで、当初からの写真がずらりと展示されている。壁には遺跡から発見された彫像やレリーフが飾られ、ちょっとした神殿体験ができるようになっている。これは非常になつかしかった。

古楽器博物館にはヴァイオリンや管楽器と並んで、チェンバロやオルガン、フォルテピアノ、ウィーンの銘器ベーゼンドルファーなどの鍵盤楽器もずらりと並んでいる。さすがにウィーンで、有名作曲家の名前がバンバン出てくる。モーツァルトがロンドンで弾いたと言われる1775年製のペダル・チェンバロ、ベートーヴェンが使っていた1800年製のヴァルター。ローベルト・シューマンとクララが結婚したとき、コンラート・グラーフがお祝いに贈ったという1839年製のコンラート・グラーフなんてのもある。これはのちにブラームスが譲り受けたそうな。

いずれも鍵盤の上にはプラスチックの覆いがかぶせられ、音出し禁止なのだが、下から手を差し入れるとタッチの感触ぐらいはわかる。昔のピアノはシングルアクションだから指のひっかかりがなく、ストンと落ちる。近代ピアノ奏法はひっかかりを計算しながら弾いているから、ストンと落ちるとびっくりする。これでシューマンを弾くにはずいぶんコントロールが必要だったろう。本当は弾いてみたかったけれど。

出口でバルダに電話して、出てこないかと言ってみたが,稽古で抜けられないという。午後はベルヴェデーレに行くと伝えて近くのイタリアン・レストランに昼食をとりに行く。キリッとした白ワインで乾杯。前菜はイタリアのソーセージ・サラミの盛り合わせ。付け合わせにオリーブ、ドライ・トマト、パプリカ。メインはラザーニャ。パリでバルダの行き付けのイタ飯屋で食べたラザーニャが冷たかったのを思い出す。こちらはチーズがとろりと溶けて、熱々でとってもおいしかった。窓の外を観光用の馬車が通っていくのを長めながらゆっくりと食事をした。

食後はベルヴェデーレにクリムトを観に行く。代表作の「接吻」や「ユディットとホロフェルヌス」が展示されている。といっても,私も川野さんもさしてクリムトは好きではない。私はココシュカに見入っていた。クリムトもココシュカも、アルマ・マーラーと縁の深い画家である。風景画家の娘として生まれたアルマ・シントラーは、17歳のとき35歳のクリムトに恋をしたが、愛人だらけで身持ちの悪い画家のことを心配した家族によって仲を割かれたという。

アルマは1902年、22歳のときにウィーン国立歌劇場の音楽監督で作曲家のグスタフ・マーラーに見初められて結婚する。シェーンベルクに作曲を習っていたアルマは,夫から作曲を禁じられて生きがいを失い、1907年には長女も亡くなって寂しさをアルコールで紛らすようになる。10年に保養先で出会った4歳年下の建築家グロピウスと関係をもち、夫が亡くなったあとは肖像画を依頼した7歳年下のココシュカと関係を持つ。

ココシュカはアルマに求婚するが、アルマは「傑作を描いたら結婚してあげる」と答える。アルマをモデルにしたココシュカの『風の花嫁』はこうして生まれた。しかしアルマは結局グロピウスと結婚するのである。

『風の花嫁』はバーゼルの美術館にあるらしいが、ベルヴェデーレにも『母と子供』などが展示されている。クリムトのような華麗な画風ではないが、タッチに深みがあり,思わず惹きつけられる。

最後にミュージアム・ショップでクリムトのスカーフを買う。金茶とオレンジを基調にしたもので、あまりけばけばしくなくて気に入った。

アパートにも度って着替え。川野さんは昔ウィーンでかったという紫地に花柄の、可愛いパフスリーブのワンピ。私はひらひらつきのアニマル模様のトップスにパンツ、クリムトのスカーフ。

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オパーに行き,バルダの2回目の公演を観る。今日は前回バルダが取っておいてくれたのと同じような最前列の席だ。思ったとおりダンサーの足先は見えない。パフォーマンスは1回めよりさらにこなれていて、とりわけノクターン作品55-2の同一性がすばらしかった。作品9-2も、前回はバルダのテンポが早めでダンサーたちが踊りにくそうだったが,このときはしっとりと弾かれた。ソロを弾くときは考えられないような速さで聞き手を置き去りにしてしまうことがあるバルダだが、ダンサーたちのステップには思いやりを見せて,じゅうぶんに待ってあげる。その配慮がえもいわれぬ「間」を生んで美しい。

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感激して劇場を出たところでバルダから電話。どうも音量が小さくて何を言っているのかよくわからない。どこかで待ち合わせ・・・と言っている肝心の「どこ」が聞き取れない。聞き返しているうちに電話が切れてしまった。楽屋口などいろいろなところに行ってみたが、姿がない。探しまわっているところに再び電話。「何をしているんだ!」

実はバルダ、劇場前の大型スクリーンの前で待っていると言ったらしい。なんだ、そうか。
衣装を入れたかばんを肩から下げてぽつんと立っているバルダを発見して、今度こそ「すばらしかった!」と首ったまにとびつく。彼もフツーに嬉しそうだった。

近くのカフェにウィンナーシュニッツェルを食べに行く。仔牛を平たくなるまで叩き、衣をつけて揚げた、いわゆるカツレツ。おいしかったのだが、食べている最中に油がはねてクリムトのスカーフを少し汚してしまった。

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食後はバルダのホテルまで夜の散歩。建築に詳しいバルダがウィーンの建物について私たちに説明してくれる。詳しいのはいいのだが、いちいち立ち止まって「お前たちはこの美しさに気づかないのか!」とアールヌーヴォーの建築様式について講釈を始めるので、いささか食傷気味。カフェでトイレに行き忘れた私たちは、にわかにもよおしてきてだんだん機嫌が悪くなる。バルダが、アールヌーボー様式の豪華トイレを見せたいというので一挙両得と喜びいさんで行ってみたら閉まっていたり。ようようのことでバルダをホテルに送りとどけたあと,脱兎の勢いでアパートに戻った。(つづく)

投稿日:2011年7月31日

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 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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