聞き手・横谷貴一編集長
ドビュッシー没後90周年の2008年、ドビュッシー研究家である青柳いづみこさんが、四回のシリーズで、いろいろな切り口によるドビュッシー・シリーズを開催する。
毎回テーマを持ち、ヴァイオリン・ソナタの初演秘話を知るフランス人奏者との共演、型絵染作家とのコラボレーションなど、ユニークで、大変興味深いシリーズと言えよう。
第1回 西洋の音楽家がどんどん東洋に近づいてくる
--ドビュッシー没後九十周年の四回連続演奏会は、毎回テーマがありますね。
「はい。ずっとドビュッシーの研究や演奏をしてきて考えたことの中から、エッセンスを取り出したと言いますか、今回はこの切り口で行こうと思います。」
--第一回は「東の時間、西の時間」というテーマですが、これはどういうことですか?
「デビューの頃に遡りますが、当時NHKのFMで『FMリサイタル』という番組をやっていまして、私も出させていただきました。その時、三善晃先生のソナタと、今回も弾くドビュッシーの『映像』第二集を収録したのです。放送ではその前の番組が邦楽の時間で、尺八の演奏でした。その次に私がドビュッシーを演奏したわけですが、ほとんど同じ様な流れに聞こえました。
その頃はまだドビュッシーについて資料的な研究をしていませんでしたから、面白いなあと思っただけでした。『映像』第二集の二曲目『そして月は廃寺に落ちる』のイメージ源がカンボジアのアンコールワット寺院であったり、三曲目の『金色の魚』が日本の蒔絵に描かれた緋鯉がモティーフだったりするので、ドビユッシーはどうして東洋のものに惹かれたのかな、と不思議に思ったのです。
その後にドビュッシーを研究するようになって、ドビュッシーが若い頃にパリ万博でジャワのガムラン音楽に感銘を受けたということを知り、そういうルーツがあったのかと。それ以来、東と西の問題が頭の片隅にありました。
--今回は『版画』も演奏しますが、一曲目『パゴダ』のテーマには、ガムラン音楽のスレンドロ音階というのを使っています。
ドビュッシーは東洋の音楽にヒントを得て、東洋風な静かな音楽を書きましたけれど、それとは逆に、やはり今回演奏する武満徹さんは、ドビュッシーとかメシアンに影響を受けて作曲をされています。ですから、二人が歩み寄った結果の音楽を一晩で演奏したら、どんな風に同じで、どんな風に違うだろうか、ということに興味があるのです。
東京芸大には邦楽科もありますが、私の学生時代、交流はあまりありませんでした。能は好きでよく行きましたけれど、西洋音楽には結びつきませんでしたね。ところが西洋の作曲家はどんどん東洋に近づいてきているということが分かって、面白いなあと。
一回目はフランス人のヴァイオリニスト、ジェラール・プーレ先生にもご出演いただきますが、先生が演奏される武満作品は、私がソロで弾くのとは違うのではないかな。」
--プーレさんとの共演は、今までには?
「初めてです。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを共演してくださるヴァイオリニストを探していて、たまたまある音楽会で先生がこの曲を弾かれるのを聴いたのです。先生のお父さまはガストン・プーレというヴァイオリニストで、この曲の初演者でした。だから先生も初演秘話をよく知っていらして、コンサートなどでその話をなさっています。それで、これは是非私の聴衆にも紹介したいと思いました。
でも初めは、どなたかお弟子さんでも紹介していただこうと軽い気持ちでご相談したら、『それは勿論万難を排してでも僕が弾きますよ』と。この曲をまるでご自分のソナタだと思っていらっしゃるかのようでした(笑) 。
ドビュッシーはヴァイオリンのことはあまり知らなかったので、ガストン・プーレがボーイングのこととか、書法のこととか、かなり助言をしたようです。ですから二人で作った曲という感じですね。いろいろ書き込んだ楽譜などもあったそうなのですが、戦争でみんな焼けてしまって、お父さまが息子さんに話してくれたことしか残っていないのだそうです。だからどうしてもそれを伝えたいというお気持ちが強いのでしょうね。楽譜が焼けずに残っていたらと思うと、残念ですね。
今までもいろいろなヴァイオリニストとこの曲を共演しましたけれど、なかなかこれという感じの演奏に出会わなかったのですが、今回は本当に楽しみです。」
第2回 パリの詩人たちとの交流を声楽曲を通じて紹介
--二回目(五月二十四日) は「ドビュッシーとパリの詩人たち」。
「この回は声楽曲が主です。ドビュッシーは生涯通じて女性の声に惹かれ続けた人でした。最初の恋人はすごく年上のコロラトゥーラ・ソプラノの人で、その人のためにたくさん曲を書いています。それも全部高い音域でコロコロいう感じの曲です。二番目の奥さんはメゾ・ソプラノの歌手で、作品も突然声域が低くなっています。相手によって曲が変化するんです。
この回では、ドビュッシーの若い頃から晩年までの音楽物語といった感じで、歌曲や四手連弾曲を演奏しながら、パリの詩人たちとの交流の様子をご紹介します。
ドビュッシーは、詩の内容とかイントネーションとかをすごく大切にした人で、その歌曲はメロディーではなくて、ほとんど詩の朗読にピアノ伴奏がついているといった感じです。微妙にイントネーションが上下するけれど、ほとんどが平板で、むしろピアノの方が雄弁に語ります。内面にしまってあることをボソボソボソつてしゃべるような感じの詩なので、イタリア・オペラのような大きな声で歌い上げるような歌い方は合わないような気がします。ボーイ・ソフラノのような、透明感のある、あまりヴィブラートのかからない声で、かなり知的な解釈も必要です。音域も広いですし、音程を取るのも難しくて、音程の悪い人ではなかなか歌えません。コントロールも難しくて、歌ってくれる人が数えるほどしかいませんね。
野々下由香里さんが『忘れられた小唄』を歌うのをたまたま他所で聴いて、これぞ! と思って、その場でお願いしました。彼女はバロックも歌っていらっしゃるし、理解の方も声の方も、ピッタリです。理想に限りなく近いですね。」
第3回 『十二の練習曲』はクープランに捧げられたかも
--三回目( 七月五日) は「クラヴサン音楽とドビュッシー」。
「クラヴサン音楽と言えばクープランですね。そのクープランを復興させたのが、ドビュッシーやサン=サーンスなんです。クラヴサンは、王侯貴族に好まれて、宮廷で弾かれていた楽器ですが、その後打ち捨てられて、博物館の楽器になっていたのです。
プレイエルが大型のクラヴサンを製作し、ドビュッシーがガムラン音楽を聴いた世紀末のパリ万博に出品し、ドビュッシーの兄弟子のルイ・ディエメールがその楽器で三日連続の演奏会をして、古典の曲をたくさん弾いたのです。それ以後、パリに古典音楽協会が発足し、クープランの作品やラモーのオペラなども復活上演されました。ドビュッシーはそれらの宣伝記事を書いたり、『ラモーやクープランの時代の音楽がフランスの精神に最もふさわしい。ヴァーグナーかぶれは良くないから、音楽はロココの精神に戻るべきである』ということを言ったりしています。精神の面でも、クラヴサンの技法の面でも、ドビュッシーは自分の曲に採り入れて、いろいろ生かしていたのです。
この回で弾く『十二の練習曲』はショパンに捧げられていますが、実はクープランに捧げようかと、ドビュッシーが悩んでいた時期もあり、そういう手紙が残っています。もしかしたら、クープランに捧げられていたかも知れませんね。クラヴサンの自由な装飾音とか、クラヴサン特有の左右をはげしく交替させる奏法とか、グリッサンドのパッセージとか、ドビュッシーの練習曲にも採り入れられています。クープランの曲と並べて弾くと、影響を受けているのがはっきりと見えると思って、この回のテーマにしました。」
--なぜクープランに捧げなかったのでしょうか?
「やはり楽譜の売れ行きを考えたら、出版社としてはショパンにして欲しかったのではないでしょうか。ドビュッシーは、小さい頃ショパンのお弟子さんに手ほどきを受けていますので、ショパンには親近感を持っていましたし、練習曲を作曲するきっかけが、デュラン社から依頼されたショパン全集の校訂でしたから、ショパンに捧げるというのは、自然と言えば自然なのですが。」
第4回 型絵染の作品の前で演奏するのが夢だった
--四回目の「音楽と美術のコラボレーション伊砂( いさ) 利彦の型絵染作品とともに」というのは?
「伊砂利彦さんという型絵染の作家さんの作品とのコラボレーションです。伊砂さんは京都で三代続いた友禅染の職人の家にお生まれになった方で、友禅染の手法を現代アートに活かして、音楽をテーマに型絵染の作品を制作なさっています。例えば、ムソルグスキーの『展覧会の絵』をコンサートでお聴きになったときに、“形” が見えたそうで、各曲をテーマにした作品を制作されていますし、ドビュッシーの前奏曲集も、全二十四曲にヒントを得て二十四枚のパネル作品を作られています。
コンサートでは、その前奏曲集の作品パネルのレプリカをロビーに展示して、ステージでは、私が弾く前奏曲集のそれぞれの曲に合わせてその映像を映し出します。こういうコンサートは、既にパリでも京都でもやっています。
この作品の実物は、東京国立近代美術館と京都国立近代美術館に分散して展示されています。」
--伊砂さんの作品との初めての出会いは?
「私がデビューしてまだ問もない頃、たまたま行った展覧会に、美術好きのおじい様がいらして、私のコンサートのチラシをお渡ししたら、見ず知らずの方なのに来てくださったのです。そのおじい様が亡くなった後、娘さんが来てくださるようになり、その方が素敵な絵葉書でコンサートのお礼状を下さいました。その絵葉書が、伊砂さんの前奏曲集の作品だったのです。それを見てすっかり気に入って、その娘さんに作者のことをいろいろ教えていただきました。それ以来夢中になって、彼の作品の前で演奏するのが夢でした。 伊砂さんは今年八十四歳ですが、まだ現役で活躍していらっしゃいます。何年か前に東京国立近代美術館で伊砂さんの生前回顧展が開かれました。その時に美術館から頼まれて、レクチャー& 演奏をしたのが、伊砂さんの作品とのコラボレーションの最初でした。
ドビュッシーはフランス人だけれど、東洋の音楽や日本の美術を愛し、こちらに寄って来てくれた人、伊砂さんは日本の伝統的な技法を活かしながら、西洋音楽にヒントを得て制作している人、その両者の歩み寄りというか、時空を越えた交歓の場になるでしょう。
今度の四回のシリーズで、ドビュッシーに対して固定観念を持っている方々に、ドビュッシーがどういうものが好きで、周りにどういう人たちがいて、どういうことをやろうとしていたかを正しく知っていただきたいと思っています。よりよいドビュッシー理解のお役に立てれば嬉しいですね。」
--なるほど。このシリーズを楽しみにしております。有り難うございました。
ドビュッシー没後90周年 ドビュッシー・シリーズふたたび
於:浜離宮朝日ホール
●第1回:3月20日( 木・祝) 14:00
【東の時間、西の時間】
ゲスト出演:ジェラール・プーレ(Vn)
武満徹/遮られない休息、フォー・アウェイ
ドビュッシー/映像第2集、版画
武満徹/妖精の距離、十一月の霧と菊の彼方から
~ゲスト・トーク~ドビュッシーの東洋趣味
ドビュッシー/ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
●第2回:5月24日( 土) 14:00
【ドビュッシーとパリの詩人たち】
共演: 野々下由香里(Sop)
クロード・ドビュッシー・アンサンブル( 下山静香+ 深尾由美子)
ドビュッシー/忘れられた小唄( ヴェルレーヌの詩に
よる) 、ビリティスの歌( ピエール・ルイスの詩による) 、
6つの古代碑銘・4手連弾( 同上) 、
牧神の午後への前奏曲( マラルメの詩による) 他
●第3回:7月5日( 土) 14:00
【クラヴサン音楽とドビュッシー】
クープラン/クラプサンのための「第13組曲」、
同「第8組曲」よりパッサカーユ、他
ドビュッシー/12の練習曲
●第4回:9月27日( 土) 14:00
【音楽と美術のコラボレーション 伊砂利彦の型絵染作品とともに】
ドビュッシー/前奏曲集第1巻・第2巻
全席指定:5000円 学生券:4000円(当日座席指定)
2回以上の連続券には単価4000円の割引があります。
主催:朝日新聞社/日本アーティスト
問い合せ:日本アーティスト・チケットセンター 電03-3944-9999